2018年2月5日月曜日

八女のイベント「桜小町」に出演します

来る3月23日(金)〜25日(日)、八女市で開催されます、以下のイベントに参加させていただきます。

山口は、24日(土)の筑前琵琶演奏会に賛助出演させていただきます。
ぜひ、足をお運び下さいますよう、よろしくお願い致します。

八女茶商 矢部屋許斐本家
八女市文化財指定記念イベント2nd

【桜小町】

時 2018年 3月23日(fri) 24日(sat) 25日(sun)
時間 10:00〜16:00
会場 矢部屋許斐本家
〒834−0031
福岡県八女市本町126
電話 0943-24-2020


◎参加者一覧
カフェ&ギャラリー 鹿鳴庵
博多曲物 柴田徳商店
日本画家 糸山志泉
お煎茶 入江規子
お抹茶 堀明日香
こぎん刺し ソラハナ
つまみ細工 和裁士 宗近陽子
カトラリー作家 Rissani
橘流筑前琵琶 筑後旭会 kochou
洋菓子作家 ランコントル
アジア民芸布 風の道



◎橘流筑前琵琶演奏会
「春の宴」〜春の季節の物語〜

時 3月24日(土) 13時半より15時
入場料 1500円(お茶券と春のお土産付き)
定員20名 予約優先

ご予約はメッセージまたは
☎︎080-6460-4436

出演: 筑前琵琶筑後旭会kochou

演目
華道 花の恵み (お花 末安賢吾×筑前琵琶)
名残の桜
若き敦盛
舞扇鶴ヶ岡
茶道 松風の曲 (茶道お点前 堀明日香×筑前琵琶)

※賛助出演 琴古流尺八 山口籟盟

2018年2月1日木曜日

【web演奏会】10分で琴古流本曲「鳳将雛」

【第42回山口籟盟web演奏会【10分で琴古流本曲(29)「鳳将雛」】
ふだんなかなか耳にする機会のない琴古流尺八本曲を、聴きやすい「10分程度」の演奏でお届けするシリーズです。

「裏の曲」9曲目は「鳳将雛」です。
この曲は『琴古手帳』の記述を根拠に、初代琴古が手付け(作曲)をし、鈴法寺の勇虎尊師、泰巌尊師に届けたものといわれてきました。しかし、佐藤晴美師が琴古社から琴古流本曲の譜本を出版するにあたり、全国各地から琴古流本曲の各種の異本を収集し対照参考にする中で、熊本から取り寄せた「鳳将雛」の古譜をもとに、肥後細川藩の支藩である、宇土藩の6代目藩主・細川興文(月翁)公が作曲し、それを初代琴古が前半1/3の手を増補したものとする説を唱えました。さらに、その宇土藩主・細川月翁公の所蔵していた琴古流尺八関連の古文書(通称、『月翁文献』)の詳細が、虚無僧研究会の機関紙『一音成仏』において公開され、月翁公が隠居し、江戸から熊本に戻る直前の明和9年(1772)、2代目琴古から集中的に琴古流本曲・表18曲の伝授を受けたこと、その最終日に「鳳将雛」を完成させ、安永2年(1773)琴古流の新曲として認定されたこと、同時に月翁公が「本則(虚無僧の免許状)を受けたことなどが明らかにされました。よって現在、この曲は2代目琴古門人・肥後宇土藩主・細川月翁の作曲によるものと認知されております。

ちなみに、他の多くの琴古流本曲とは趣を異にする「鳳将雛」という曲名は、『晋書、楽志』『古楽府、隴西行』『楽府詩集』を出典として「呉声十曲の中の三が鳳将雛という」とあるそうで、当時高い文化的素養を持ち、詩文や俳句、茶道なども良くしたといわれる月翁公ならではの命名ではないかと言われております。なお「鳳将雛」とは鳳凰の雛のことで、麒麟児や神童と同じく幼くして才覚を見せる男児を意味するとのことです。

全曲を通すと20分以上かかる楽曲ですので、今回はその中から、曲中何度も奏される「ウチー、ウー、チウチウツールー引」の手が印象的な前半部と、中盤以降の高音の部分を中心に抜粋しております。高音の部分は、他の琴古流本曲とはひと味違った、雅楽を思わせるような旋律が特徴的です。また、曲中の「コロコロ」の手は、鳳凰の雛の鳴き声を模した手だと言われています。

※「山口籟盟web演奏会」は、ふだんなかなか耳にする機会のない尺八音楽を、インターネット上で公開する取り組みです。

2018年1月5日金曜日

今年の目標

あらためまして、新年にあたり、今年の目標を述べて見たいと思います。

僕の尺八に関する今年のテーマは「クォリティ」「高揚感」にしたいと考えています。

因みに昨年は、意識的にテーマを設定した訳ではありませんでしたが、結果として「古典をwebという新ステージで追究」という感じになりました。「web演奏会」「ジョイントweb演奏会」「web尺八セミナー」「而今の会」など、やってる演奏は本曲や地歌箏曲など純邦楽の古典そのものなのですが、その演奏公開、合奏や下合せ、さらには講習の場までもネット上とすることで、これまでのリアルな演奏会やレッスンにはなかった、他地域にお住まいの「仲間」もっと言えば「同志」と巡り会うことができ、課題も多いのですが、一定の成果も得ることが出来たのではないかと思っております。


さて、今年の目標「クォリティ」「高揚感」に触れる前に、そのような考えを持つきっかけとなった、いくつかの事情をご紹介しましょう。

昨年末から、J-METALの「GALNERYUS(ガルネリウス)」というバンドが好きで、よく聴いています。J-METALといえば、紅白にも出演していたX JAPAN や、デーモン小暮で有名な聖飢魔IIなどが思い浮かびますが、僕もそれらのバンドも好きで聴いています。特に聖飢魔IIは、バンド全体の技術の水準や結束感が強く、メンバー同士も「大学のサークルの延長」という感じの和気あいあいなので、自分自身もこうしたバンドみたいなグループが組めたらなぁと積年思い続けていたりしました。
しかし、GALNERYUSは、これら二つのバンドとは何かが違うのです。それは「現代の圧倒的なハイクオリティ」とでも言えるでしょうか、信じられないくらいの全てのパートの驚異的なテクニックと息を呑むような演奏が展開されているのです。聖飢魔IIも各パートどれをとっても「プロとして上手い」のですが、GALNERYUSは情報の洪水の中に生きている現代人が、歌にせよ楽器にせよこれまでになく演奏水準が上がっている中において、おそらく現代のバンドが成し遂げられるであろう最大級の演奏技術が現実のものとなっている訳です。しかも、作曲にも優れ、アルバムの中身も純粋なメタラーを唸らさせるだけの硬派かつ質の高い楽曲でひしめき合っている。これ以上詳しく書くとしつこくなってしまうので、ご興味を持たれた方にはネットで検索していただければと思うのですが、僕は結果として最近3枚アルバムを買いました。聴こうと思えばYouTubeとかでも聴ける時代なのですが、「いい音で聴きたい」と思った訳です。ネット上のインタビューでも語られていましたが、このバンドはミリオンセラーやチャート上位に食い込んだりして日本人なら誰でも知ってるという訳ではなく、そこがXや聖飢魔IIと違うところなんですが、モーレツに熱い固定ファンが多数おり「この売れないジャンルで毎年のように新アルバムを出せること自体が珍しい」ことなのだそうです。また、「メタル」というジャンルは世界的にファンが散らばっており、「国内オンリーのJ-POP」とは違い、他所の国から演奏のオファーやファンレター(メール)が来るとのこと。この辺りも、純邦楽の特に古典は大いに参考にしていかなければいけないような気がしました。

それから、正月にたまたま本屋で「塩谷亮」という油絵画家の画集と出会いました。詳しくは述べませんが、とにかく「写真か!?」と見まごう程の写実的な作品には、思わず息を呑みました。で、帰ってからネットで調べてみると、以下のような記事と出会った訳です。
https://r.nikkei.com/article/DGXMZO16281380S7A510C1000000
要するに、もうこのご時世、日本画も油絵も売れてないと。しかしそんな中唯一売り上げが伸びているのが、こうした「写実絵画」だとのことで、現代の富裕層が出品された作品に殺到している訳です。

まあ、この辺は「好み」もあるものですから一概には言えないのですが、僕はこの話を聞いて「GALNERYUSと似ているな」と感じました。つまり情報に溢れ、価値観の細分化している現在、もはやかつてのような「みんな誰でもが当たり前のように一つの価値観に集まって行かない」という時代、その中でも熱く濃いファンの支持を如何に得ていくかということが大切だと思うわけです。そして、そのキーワードとなるのが「クォリティ」なのではないかと思います。自分はまだまだそこが甘いので、とにかく上げていかなくてはいけないなと思っています。

「高揚感」については、あまり詳しく述べられず、自分の中でも考えをまとめきれてない所もあるのですが、GALNERYUSにせよ写実絵画にせよ、聴いた瞬間、見た瞬間、「おおおぉっっっっ!?!!!!」という、極めてハイテンションな高揚感に心を鷲掴みにされるように思います。そこに、「人が振り向く」ということなんでしょう。人はそれを「感動」と呼ぶのだと思いますが、僕の中では「高揚感」あるいは「陶酔感」というような言葉で腑に落ちています。「クォリティ」とも深い関係があるように思いますが、やはり奏者の情緒面とも深く関係する所でしょう。「感情を込めた演奏」とかいう言い方は学生の頃から苦手ですが、メンタル面を高めていくために、自分の中にこうした要素を重視していく必要を感じ、「高揚感」という言葉で受け取って行くことにしました。

元日にNHKで「歌舞伎俳優祭」という番組を見ました。歌舞伎の有名な俳優さんがオールスターな感じでひとところに集まり、演目を繰り広げていた訳ですが、僕は仮名手本忠臣蔵から要所を抜粋した「二つ巴」という舞踊を見ました。もう目が釘付けのクォリティの圧倒的な高さと凄まじい高揚感!!素踊りの紋付袴が本当に女性のように見え、所作の一つ一つの洗練度が信じられない水準です。お囃子や長唄も当然のように演奏水準が高く、引っ切り無しに次から次へと曲が流れて行く。その歌舞伎でも、今は先行きに対する危機感があるといいます。純邦楽、特に古典系は、こうした時代の実情をしっかり受け止め、これからも聴いていただいた方に「いいな」と思って頂けるよう、毎日の努力を積み重ねていかねば!!と、自分に言い聞かせているところです。

2018年1月1日月曜日

【而今の会・平成30年新春web演奏会『八千代獅子』山田流・生田流合奏】

年末に身内の不幸ごとがあり、喪中の身ではございますが、本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

さて、「而今(にこん)の会」のブログにも掲載させて頂きましたが、平成30年・新春名義で、而今の会の3人で「八千代獅子」の合奏を公開させて頂きましたので、ご覧いただけますと幸いでございます。

※詳しくは、「而今の会ブログ」をご覧ください。


本年も、純邦楽の素晴らしい演奏を目指して精進してまいりますので、何卒よろしくお願いします!!


【平成30年新春web演奏会】10分で琴古流本曲「鹿の遠音」

41回山口籟盟web演奏会・平成30年新春web演奏会【10分で琴古流本曲(28)「鹿の遠音」】
ふだんなかなか耳にする機会のない琴古流尺八本曲を、聴きやすい「10分程度」の演奏でお届けするシリーズです。

「裏の曲」8曲目は「鹿の遠音」です。
『琴古手帳』によれば、初代琴古が19歳の時、長崎の虚無僧寺「正壽軒」にて、一計子から伝授を受けた曲とされています。初代琴古はこのとき、他にも「古伝三曲(霧海篪鈴慕、虚空、真虚霊)」「三谷菅垣」「佐山菅垣」「波間鈴慕」の伝授を受けており、これら「一計子伝」の本曲は、今日「琴古流本曲」として伝わる36曲のうちでも最初期の楽曲群であると考えられると同時に、全曲中でも特に重要視される曲が多いことに気付かされます。なお、現在では「鹿の遠音」という曲名が定着していますが、伝承当初から明治当初くらいまでは、「呼返鹿遠音(よびかえししかのとおね)」と呼ばれていました。

この曲は通常、二人の奏者の同じ長さの尺八による掛け合いで奏されることが多く、「秋の深山で、雄鹿と雌鹿がお互いに求愛して鳴き合う様を描写した曲」とも、あるいは、実際には雌鹿は鳴かないので、「雄鹿が二頭以上、それぞれ相手の雌鹿を慕って鳴くさまである」あるいは「自分の縄張りを示すために鳴く雄鹿の声が山々にこだまする状況」などとも言われています。表の曲「巣鶴鈴慕」のときにもふれましたが、「親子の愛情」を表現した「巣鶴鈴慕」と、「夫婦愛」を描いたとも言われる「鹿の遠音」は、尺八古典本曲の中でも鳥獣の生態描写を主眼として表現的技巧に富み、他の普化宗の禅味を帯びた宗教的楽曲とは趣を異にした純芸術的な曲と言えるように思います。掛け合いを繰り返していく曲の構成が影響してか、琴古流本曲の中でも1フレーズの長さが比較的短くまとまっており、旋律も美しく、聴き応えのある名曲といえましょう。また「ムライキ」と呼ばれる噪音的な音づかいや、「二四五のハ」による高音の響きが効果的に用いられ、秋の山々を吹き抜ける風音や、鹿の鳴き声などを、尺八ならではの表現方法で演奏するよう工夫が凝らされています。


「鹿の遠音」に関しては、次のような面白いエピソードを読んだことがあります。

「鹿の鳴声には近音(ちかね)・中音(ちゅうね)・遠音(とおね)の三種類が有って、全く別物に聞える。人の近くに居る鹿の声は餌を求めたり仲間同士の合図のような日常生活用の声で、子豚の鳴声に似ている。昔の猟師は鹿笛という鹿の近音に似た音を出す笛で鹿を誘い寄せた。二・三百米以上離れた所から大きく響く中音は、秋の終り頃から初冬に掛けての薄寒い夜更けに発情期の雄が雌を誘う雄叫びで、ギャーンと只の一声、馬の嘶きの如く猛々しく威厳が有る。一粁(キロ)以上或いは遥か山の彼方から聞えて来る遠音は、この中音と同じ物であるが距離が遠い為に、鳴声の音波の中で周波数の低い低音部分のエネルギーは横方向に拡散し易いので途中で消えて遠方まで届いて来ない。甲高い高音部は直進性が強くエネルギーのロスが少いので、シーンと静まり返った秋の夜には極めて遠くまで聞えてくる。然も、バリッと一瞬の雷声がゴロゴロと長く曳くように、周囲に谺(こだま)しながら来るのでヒーヒーヒーと高音で長く余韻を曳いて極めて叙情的で、丁度尺八の高音部(ヒ・ヒ五・ハ・ハ二四五等)の音と実にソックリである。
(中略)
都会育ちの三代古童は鹿の声を知らないので、何とかして聞きたいと思っている時、奈良公園の課長が入門してきたので絶好のチャンスと、折角鹿の声を聞いたのに大失敗をしてしまった。三代古童は鹿の声に近音・中音・遠音の三種が有る事を知らなかったばかりに「鹿の遠音を聞きたい」と言うべき所を、「鹿の鳴声が聞きたい」と言ってしまった為に、初心者で「鹿の遠音」と云う曲を知らない公園課長さんから森の直ぐ傍の旅館に案内されて泊り「鹿の中音」をタップリと聞かせて貰って、此がテッキリ「鹿の遠音」だと信じ込み、愛宕山のNHK放送局(当時はJOAK)から「鹿の遠音は豪快で威厳があり、尺八曲の甲高い高音部は谷間を渡る風の音であろう」という感想談を放送した」(増補改定『伝統古典尺八覚え書』値賀笋童 平成10年より)


なお、この曲の楽譜を見ますと、殆どのフレーズに3回の繰り返し指事が記されています。そのうちには、同一奏者が少しずつ変化をつけて3回繰り返すものもあれば、二人で交代しながら3回繰り返す場合もあります。しかし、現在ではすべてのフレーズを3回繰り返すのはさすがに冗長が過ぎるということで、繰り返し無しか、あるいは2回の繰り返しにして二人の奏者の個性の違いを楽しむような抜粋にすることが多いように思います。(吹き合わせ動画やジョイントweb演奏会での「鹿の遠音」は、2回繰り返しを基本にしています。)また、一人の奏者による独奏の場合もあり、私個人が独奏する場合はこの動画のように、最初から最後まで全てのフレーズを1回ずつ演奏しています。その場合は二人での掛け合いとはやや演奏スピードや旋律間の間合いのニュアンスが異なり、少しあっさり目に、つながりの滑らかさを意識して表現しています。



「山口籟盟web演奏会」は、ふだんなかなか耳にする機会のない尺八音楽を、インターネット上で公開する取り組みです。

2017年12月15日金曜日

【web演奏会】10分で琴古流本曲「波間鈴慕」

【第40回山口籟盟web演奏会【10分で琴古流本曲(27)「波間鈴慕」】
ふだんなかなか耳にする機会のない琴古流尺八本曲を、聴きやすい「10分程度」の演奏でお届けするシリーズです。

「裏の曲」7曲目は「波間鈴慕」です。
『琴古手帳』によれば、初代琴古が「古伝三曲」や「鹿の遠音」などとともに一計子から伝授を受けた曲であるとのことです。
琴古流本曲の楽曲には、他流派の古典本曲に同名異曲が存在したり、琴古流からの移入曲が見られるものが多いのですが、「波間鈴慕」は長崎・正壽軒の一計子から初代黒沢琴古へと伝授されたこの琴古流本曲の「波間鈴慕」だけのようです。楽曲の旋律や形式、奏法などもこの曲独特なものが多く、多くの古典本曲のように伝承から伝承を繰り返すうちに楽曲が形成されたというよりは、明確な意図をもって「作曲」されたのではないかと感じられる要素が強いように思われます。

私個人としては、36曲ある琴古流本曲の中でも「難曲」の一つだと感じており、曲の前半部に出てくる「ユリ」の連続、中間部の「ツキユリ」などに「波」の動きを表現する難しさや、曲の終末部の独特な手(特にロのユリのあとの「フリ」というこの曲にのみ使用される手)など、楽曲中のどの部分も気の抜けない部分だと思います。ちなみに、「一二三鉢返調」中の「竹翁先生入れ子の手」はこの「波間鈴慕」の終末部をモデルとして作られたということです。(雑誌『三曲』より「尺八本曲の話(三浦琴童)3」大正11年1月号)

曲の抜粋は、前半部、中間部、終末部からそれぞれ聴きどころを抜き出しましたが、元々が大曲のため、結局抜粋しても15分を超えてしまいました。


「山口籟盟web演奏会」は、ふだんなかなか耳にする機会のない尺八音楽を、インターネット上で公開する取り組みです。

2017年12月11日月曜日

尺八のデザイン

今更なんですけど、尺八って、結構デザインの美しい楽器ですね。

僕が初めて「デザインが美しい」と思った楽器はチェロです。で、次がギブソン・レスポール。両方ともふくよかな丸みを持った美しさなのに対し、尺八はただの長細いだけの笛だと思っていた時期がありましたが、尺八の持つ節の規則性やバランス、そして長細い中にある曲線美などは面白いですね。

以前にも書きましたが、僕の吹料は九州・熊本の阿蘇地方にお住まいであられた、故・利道道仁師作の1尺8寸管です。

有名銘柄の高級品というわけではないのですが、阿蘇地方のカントリーサイドな雰囲気そのままの、素朴な音色のする楽器です。竹盟社師範を許された時、利道さんにお願いして作って頂きました。

僕は昔、古管好きで、ずっと古管を求めていた時期が長かったのですが、途中で考えが変わり、「今ある新品の中から自分に合ったものを選び、それを『古管』になるまで使い続けよう」と決心したのです。「地産地消」という言葉がありますが、僕は九州の人間なので、折角尺八を作ってもらうなら、九州の尺八制作者に、九州の竹材で作ってもらいたいなと思ったんです。九州の空気を吸い、九州の水を飲み、九州の大地を踏みしめて生きてるわけですから。そういう人間だからこそできる音楽を演奏出来たらなと思っています。