2017年10月9日月曜日

【H29 「秋の山口籟盟webストリートライブ」『茶湯音頭』】

このところ、本業が非常に忙しく、なかなか演奏活動等(リアルな場でも、web上でも)に時間が割けない状況が続いております。まあ、本業が充実しているということそのものは、大切なことなのかもしれませんが。しかしまあ、人間、「余裕」というのは大切なものですね。3連休をかけてやっと、精神的にも余裕を取り戻したところです。

さて、昨年はFacebook上で展開した「秋のwebストリートライブ」、今年は色々あってYouTubeおよびブログ上にて開催させていただきます。曲目は『茶湯音頭』。このところの忙しい間にも、手慰みになんとはなしに譜本に手が伸びて吹いていた曲です。心が求めていた楽曲だったのでしょう。





最近、「尺八を吹くって、どういうことなのかなぁ~」とか、「演奏活動って、なんなのかなぁ~」とか、ぼんやり考えたりします。「而今の会」がひと段落ついて、差し迫った目標がないというのもあるし、仕事で忙しいというのもあるしで、思考が彷徨っているのでしょう

こういうとき僕は、「そもそも、『音楽をやる』って、人間にとってどういう行為なんだろう??」とか思ったりするわけです。


その一つの答えの形かな、と最近思ったのが、たまたまFBやらYouTubeやらで見かけた「有山じゅんじ」というブルース・ギタリスト、そしてその方が出演していた「なにわブルースストリート」というイベントの告知ムービーでした。


何というか、いかにも「なにわ」な感じの、いい塩梅に枯れたブルースとギターが味わい深いのですが、テクニック的に上手なのもそうなんですが、なんだか「音楽とともに生活している」「仲間と分け隔てなく音楽を楽しんでいる」感が、本当にすばらしいなと思ったわけです。

そういえば、大阪に移住してすぐの頃は、いろいろなストリートライブを見に行ったりとか、知人のお世話になってライブハウスで演奏させてもらったりとかしたなぁ、と、かつての思い出がよみがえってきます。



そういうフィーリングが尺八でも出せたらいいんですけど
なかなか自分なりの音楽としての答えが出せませんね。

「尺八本曲」とか、「地歌箏曲」とか、好きな音楽はたくさんあるんですけど。「生活の中の音楽」となるまでには、自分の中にもう少し熟成が必要なのかもしれません。



そういうことをもやもや思いながらの3連休の最終日、思い切って『茶湯音頭』を演奏してみました。
練習なしの一発どりで、多少あらがありますが、そういうもんかなと思ってそのまま上げています。服装も普段着のままです。最近、本当に「音楽って、なんなんだろう??」とか思ってますが、今の現状をストレートに出してみることで答えに近づけるのかもしれません。



ああいう「なにわブルースストリート」みたいに、分け隔てなくわいわいやってみたいな

2017年9月23日土曜日

【web演奏会】外曲の部 山田流箏曲「さらし」

35回山口籟盟web演奏会【外曲の部 山田流箏曲「さらし」深草検校作曲】

9月に入って、久しぶりに「さらし」が吹きたくなり、練習してみました。
速くて手がまわる曲なので、ふだんゆっくりな曲ばかりやっている自分にとっては結構大変でした。大好きな曲なので、これからも稽古していきたいです。いくつか「ちょいミス」がありますが、今回は「ご愛嬌」でお願い致します。

ちなみに、下記の解説にもありますが、最近話題になっている、吉村蒿盟師手付の「早晒」は、この曲が器楽的に発展を遂げた別バージョンとなります。山田流では、中能島欣一師の「多重録音」で有名ですよね。今回の演奏は、山田流箏曲として広く一般に演奏されている方で、尺八の手付は木村友斎師です。




(まき)の島には、さらす麻布、賎がしわざに宇治川の、浪か雪かと白妙に、いざ立ちいでて、布をさらさう
(かささぎ)の渡せる橋の霜よりも、さらせる布に白みあり候
なうなう山が見え候、朝日山に霞たなびく景色は、たとへ駿河の富士はものかは、富士はものかは
小島が崎に寄る波の、小島が崎に寄る波の、月の光をうつさばや、月の光をうつさばや
見渡せば、見渡せば、伏見、竹田に淀、鳥羽も、いづれ劣らぬ名所かな、いづれ劣らぬ名所かな
立つ浪は、立つ浪は、瀬々の網代に障()へられて、流るる水を堰き止めよ、 流るる水を堰き止めよ
所柄とてな、所柄とてな、布を手ごとに、槙の里人うちつれて、戻らうやれ賎が家へ


地歌・箏曲。宇治川の布ざらしを描写した曲。抱一上人筆「吾妻唄」(1828、文政11以前成立)に収録されているので、早くから山田流で箏の手付が行われていたと思われるが、現行のものは小名木検校の箏手付という。片雲井調子で出て、部分的に多少の変化がある。なお、この「晒」の三弦曲をさらに器楽的に発達させたものが、京都に伝承される「早晒(はやざらし)」であり、山田流では三弦・箏とも即興的な手が入れられて、「新晒」として行われている。(『邦楽曲名事典』 平凡社 1994

「山口籟盟web演奏会」は、ふだんなかなか耳にする機会のない


尺八音楽を、インターネット上で公開する取り組みです。

2017年9月9日土曜日

【web演奏会】10分で琴古流本曲「下野虚霊」

34回山口籟盟web演奏会【10分で琴古流本曲(22)「下野虚霊」】
ふだんなかなか耳にする機会のない琴古流尺八本曲を
聴きやすい「10分程度」の演奏でお届けするシリーズです。

「裏の曲」2曲目は「下野虚霊」です。
『琴古手帳』によれば、一月寺御門弟秋曲子より伝来、秋曲子が「夕暮」を懇望したので、初代琴古が伝授したと記されています。

曲名に「虚霊」が付きますが、この曲には「イキナヤシ」など、いかにも「虚霊」らしさを感じる旋律形は感じられません。きらびやかさが際立つ曲ではありませんが、下野(栃木)の北関東らしい雰囲気を大切にしながら演奏したい楽曲です。

なお、旋律の繰り返しを除けば、琴古流本曲の中ではあまり長い方の曲ではなく、ここでも全曲通して演奏しております。



「山口籟盟web演奏会」は、ふだんなかなか耳にする機会のない尺八音楽を、インターネット上で公開する取り組みです。

2017年8月29日火曜日

中継ぎグリス

Facebookでのお知り合いから、中継ぎに使用しているグリスについてご質問を頂き、自分の使っているグリスをご紹介したり、その自分のグリスも丁度なくなってきたので新品を買ってみたりなどしましたので、この場でもご紹介させていただきます。

僕が使っているのは、「エーゼット 万能グリース 高速ベアリング用」という、工業用グリスです。

中継ぎグリスに関しては、色々な方にご紹介いただいて、リコーダー用やら、木管楽器用のコルクグリスやら、いろいろ試していたのですが、なかなか気にいる物がありませんでした。

そんな中、現在使用している楽器を制作されていた故・利道道仁師(熊本県阿蘇在住)にお借りした楽器のグリスが非常に素晴らしく、新品の愛管を受け取る時に何のグリスなのかお伺いしたところ出してきてくださったのが、この工業用グリスだったのです。

「工業用グリス!?」と初めは驚きを隠せませんでしたが、その「つるっ!」と入る、軋みのない感触は、これまでのどのグリスをも圧倒的に凌駕していたので、ご好意に甘えて利道さんからフィルムケースに分けて頂いて使っていました。




しかし、さすがに6年もするとこれが底を尽きかけていましたので、グリスをご紹介するにあたり、自分自身も新品を買ってみて、実際の使用感を確かめてみようと思い、本日購入してきました。





パッケージのデザインは、基本的に変わっておらず、製品の歴史を感じさせます。



肝心の中身ですが、う〜ん、やや異なっていますかねぇ…?



色が、以前のは「烏龍茶の薄い色」という感じの透明な茶色だったんですが、今回のはもうちょっと濁った色というか、片栗粉を烏龍茶に溶いたとでもいうような感じになっています。

つけた後の中継ぎの雰囲気も、以前の方が「つるっと感」が強かったような気がします。ちょっとだけ「さらっ」としている感じです。



まあしかし、どのみち以前のは殆ど切れてしまっているので、このグリスを使用していこうと思います。使い心地は悪くないです。


裏の注意書きを初めて見ました。
なんと、「素手では触らないように」になっています!
これまで、ずっと薬指で塗ってました。
塗った後は、すぐに石鹸で洗っていますが。
…結局、いつものように薬指で塗ってしまいました。






余談ですが、利道さんがおっしゃるには、1週間に一度は完全に拭き取って塗り直した方がいいそうです。中継ぎに着いたゴミ等で、滑りが悪くなったり、中継ぎが汚れると音にも影響がある(?)とのこと。僕の場合、完全に週一回ではないですが、「中継ぎが滑りが悪くなってきたな」と思ったら、ティッシュで拭き取って塗り直し、同時に尺八に椿油を塗ることにしています。

利道さんによれば、椿油も「塗った後の拭き取り」が大事だそうで、僕もベトベトのままにせず、必ずキッチンペーパーで拭き取っています。オイルを塗ると「ツヤが消える」のは、拭き取らないからだそうで、「染み込ませよう」と思ってベタベタのまま置いておくのは逆効果で、ツヤがなくなるんだそうです。

2017年8月27日日曜日

【web演奏会】10分で琴古流本曲「三谷菅垣」

第33回山口籟盟web演奏会【10分で琴古流本曲(21)「三谷菅垣」】
ふだんなかなか耳にする機会のない琴古流尺八本曲を
聴きやすい「10分程度」の演奏でお届けするシリーズです。


web演奏会・10分で琴古流本曲シリーズ」、再開します!!

再開第1回目は、琴古流本曲の裏の曲の第1曲目「三谷菅垣(さんやすががき)」です。

「表」の曲は、琴古流本曲の中でも「標準形」というか「セオリー通り」とでも言うべき、整った形の楽曲が多いように感じます。一番最初にお習いする基本曲「一二三鉢返調」に始まり、滝落~京鈴慕までの「行草の手(竹盟社では「学行の手」とも)」6曲、普化宗において宗教的に最も重んぜられる「古伝三曲(+虚空替手)」、琴三虚霊~巣鶴鈴慕までの「真の手」9曲、合計18曲(現行では実質20曲)は、どれもある意味位置付けがハッキリした、手や旋律も崩されていない楽曲が多いと言えるように思います。

それに対して「裏」の曲は、「表」にはない、その曲独自の個性的な手や旋律、作曲者がハッキリ分かる新しい楽曲、そして普化宗の宗教的な意味合いよりも、芸術面に重きを置いた表現豊かな楽曲が多いように思います。「裏18曲」(現行では実質16曲のカウント)を一曲ずつ味わいながら、大切にこの「10分で」シリーズで公開して行けたらなと思っておりますので、どうぞよろしくお願い致します。


さて、その「三谷菅垣」ですが、『琴古手帳』によれば、初代琴古が長崎・正壽軒において、一計子より伝授されたとあります。古伝三曲や「鹿の遠音」などと一緒ですね。

「三谷(さんや)」という曲は、琴古流に限らず、広く古典本曲を伝承している諸派によく見られる曲名です。その意味には諸説あり、漢字表記も「山谷」「産安」など様々ですが、何らかの関係性を持つ同名異曲群と見て差し支えないようです。

「菅垣(すががき)」に関しては、「秋田菅垣」の時にも言及しましたが、雅楽や和琴の奏法名を由来として、江戸時代初期には箏や三味線、一節切など、楽器の垣根を超えた共通の要素を持つ楽曲名となったものでした。有名な箏曲「六段の調」も、古くは「六段菅垣」とも呼ばれていて、「六段」は「菅垣」から成立したことが伺えるのでした。「三谷菅垣」もこうした「菅垣」の一種であると言えるわけです。

曲名に「菅垣」と付くものは、本曲の割には拍子がしっかりとしている特徴があり、本来の独奏曲としてのみならず、社中総員での連管による演奏や、替手をつけての大合奏としてもよく出されます。また、本曲の中でも比較的初歩の段階で習う場合も多く、そういう意味で「三谷菅垣」は、琴古流本曲の中でも多くの人が演奏する機会のある楽曲と言えるでしょう。


今回は先ほど述べたような本手・替手合奏ではなく、三浦琴童譜通りの原曲を、抜粋なしで演奏しました。細かい手も、竹盟社で伝承されている通りを意識して演奏しております。

8月後半のまとめ

「而今の会」本番前日で更新が止まってしまっていました。

「而今の会」本番、「薫習庵演奏会」での残月、その後も「而今の会ブログ」の更新、休暇が終わって本業の再スタート…と、なかなか自分のブログが更新できずにおりました。



まず、「而今の会」本番につきましては、「而今の会ブログ」の方で詳しくまとめております。「笹の露」の演奏動画なども添付しておりますので、もしよろしければごらんください。


【而今の会の本番!】H29.8.21

その後、而今の会のふりかえり記事やインデックスの作成等を行い、これまで半年間、毎週更新していた「而今の会ブログ」も一区切りしました。

半年間とは思えない、とても充実した、飛ぶように過ぎた日々を思い出しました。
而今の会のメンバーのみなさま、そして毎回ブログを見て応援くださったみなさま、どうもありがとうございました。

【「而今の会」結成〜葉月の陣屋をふりかえって】H29.8.25

【「而今の会」ブログへ、ようこそ!!(INDEX)】H29.8.27





8月20日に開催された、「第2回 薫習庵演奏会」に関しましては、師匠・吉村蒿盟師のブログに取り上げてくださいましたので、そちらをご覧いただけたらと思います。


【薫習庵琴古流尺八アライアンス】
「残月」は、山口籟盟さんが演奏しました。(2017年8月)



長野〜関西は、レガシィの車中泊ツアーで参りましたが、この旅での走行距離は2,417km、レガシィの新車からの総走行距離は21万kmを超えました。






本日、オイル交換をしました。
5W30の部分合成オイルです。5,000kmに一度交換することにしています。





現在は再び公務の方に邁進しながら、尺八の方は琴古流本曲の「裏」の曲の方にとりかかっております。

2017年8月17日木曜日

而今の会、ついに前日!!

いよいよ明日が、而今の会前日です。

本日長野県入りし、午前中は「ジョイントweb演奏会」で共演した、
北海道大学、大学院生の中村 建さんを訪問しました。

「みだれ」本手・替手合奏などを吹合せしました。




午後は、東さんとJR岡谷駅で合流し、駒ケ根の大庫さんのお宅へ。
詳しくは、「而今の会ブログ」の
【而今の会・本番前日!!】H29.8.17
をごらんください!!



明日が本当に楽しみです!

2017年8月11日金曜日

而今の会より、みなさまへ

とうとう、「而今の会」も、本番まで残り1週間となってしまいました。
「而今の会」3名で作り上げた「お知らせ」ビデオです。



而今(にこん)の会について
インターネット上での三曲合奏「ジョイントweb演奏会」をきっかけに、大庫こずえ、東啓次郎、山口籟盟の3名が「生演奏でのライブ」を敢行!!
居住地や流派、演奏キャリアに左右されず、地歌箏曲を愛する3名が「同志」として、新しいスタイルの三曲の在り方を創り上げています!

「而今の会ブログ」:http://nikonnokai.blogspot.jp



葉月の陣屋 三曲の宵
「而今の会 演奏会」

日時:2017年8月18日(金)
野点薄茶席・地酒「今錦」呑みくらべ…17:00~
而今の会 演奏会…19:00~
会場:飯島本陣陣屋(長野県上伊那郡飯島町飯島2309-1)

~演奏曲目~
六段の調(:大庫こずえ、東啓次郎
秋の七草(:大庫こずえ、尺八:山口籟盟
黒髪(三絃:東啓次郎、尺八:山口籟盟
夕暮の曲(尺八:山口籟盟
笹の露(三絃:大庫こずえ、箏:東啓次郎、尺八:山口籟盟


入場料:2000円




2017年8月8日火曜日

「而今の会」本番がせまってきました!

而今の会の進捗状況です。


まず、「笹の露」前歌〜手事のオンライン下合せを行い、全曲を完成させました。

【「笹の露」オンライン下合せ・ついに完成!!】H29.7.17


つづいて、オンライン下合せの方法についても公開しております。

【「オンライン下合せ」の舞台裏1】H29.7.22

【「オンライン下合せ」の舞台裏2】H29.7.29



『邦楽ジャーナル』8月号の「古典をじっくりあじわう」コーナーでも、而今の会を取り上げていただきました。ありがたいことです。

【邦J・8月号「古典をじっくり味わう」コーナー】H29.8.01






会場の「飯島陣屋」について、詳しい解説を大庫さん、東さんがアップされています。

【会場の「飯島陣屋」とは】H29.8.04

2017年7月18日火曜日

立体地図

私事ですが、個人的に「立体地図」というものが好きです。
美しい山々の地形が、立体的に再現されていて、素敵ですよね。
山岳地帯の温泉宿とか、観光案内所などでよく見かけます。

で、今日たまたま立ち寄ったスポーツ店のアウトドア用品コーナーに、「南アルプス」の立体地図があり、今度「而今の会」の演奏会をする飯島町もしっかり載っていました!赤石山脈、伊那山地の西側の裾野に位置しているんですね。
天竜川に沿って、JR飯田線が走っています。

この地に足を運ぶのは初めてですが、赤石山脈を挟んで反対側の山梨県北杜市や、長野県の富士見町などは、2年前に訪れました。関西在住時代は、毎月のようにレガシィで長野・群馬に車中泊旅行に出かけていたものです。きっと自然の美しい高原地帯なんでしょうね。

…ちょっと大都市部からは離れてはいますが、この美しい南アルプスの観光も兼ねて、ぜひ足をお運び下さいますよう、よろしくお願い申し上げます!!




2017年7月15日土曜日

「而今の会」チラシ

大庫 こずえさんから、印刷屋さんでプリントされた「而今の会」のチラシを送って頂きました。
家のプリンタで刷ったものと違って、実感が湧きますね…。自分が関わらせてもらったチラシが、こうして「印刷物」になるとは、なんだか嬉しいものです。

…本番が迫ってきましたね!
練習にも、そして「オンライン下合せ」にも熱が入ります!!


2017年7月3日月曜日

第二回 薫習庵琴古流尺八演奏会のご案内

師匠・吉村蒿盟師主宰の「薫習庵」の第2回演奏会に出演させていただきます。




日時:平成29年8月20日(日)12:30開演
場所:西宮市立甲東ホール
※山口の出演曲
 1、吾妻の曲
 5、一二三鉢返し調
 8、雲井獅子
 12、残月



地歌箏曲の名曲「残月」を公の場で演奏するのは初めてです。

最近、「”お勉強”三曲の脱却」「気心知れた音楽仲間との三曲合奏」等の新しい価値観を推進している山口ですが、この「残月」に関しては、やはり曲の格が別格というか、本当に演奏するのが難しく、精神的にも技術的にも非常に高いものが要求されていることを痛感します。


琴古流本曲に例えると、「八重衣」は「虚空鈴慕」、「残月」は「真虚霊」という感じがします。「八重衣」の方が曲調が整い、洗練されている美しさという感じがしますが、「残月」は曲自体の良さとともに「魂の叫び」というか、人間の精神的な部分の根元が体現された楽曲であるように思います。数行しかない前歌がどっしりと重く、かなりの時間と結構な体力を要するあたりは、なかなか他の曲にはない感覚です。


以前は「残月より八重衣の方が好き」だとも思っていましたし、「残月を演奏会で演奏してみたい」という気持ちが中々生じなかったのですが、最近少しずつそうした気持ちが変化してきました。若い年齢から、少しずつ歳をとってきたからでしょうか。「薫習庵」の第2回演奏会開催にあたり、師匠から希望曲をたずねられた時、自分の気持ちが「残月」への挑戦という道を選んだことに、結構自分自身おどろいていますが、そういうチャンスは滅多にないので、今回は一心不乱に頑張らせていただきます。


修行の地・関西での演奏会出演は久しぶりです。近畿地方在住の方、またこのシーズン関西におられる方、ぜひ足をお運びくださいますよう、よろしくお願いいたします。

「而今の会」のチラシが完成しました!!

「而今の会」のチラシが出来上がりましたので、どうぞご覧ください。



実は、このチラシ作成も、私がさせていただきました。
くわしい経緯の方は、ぜひ「而今の会」ブログの方で…。
【而今(にこん)の会、チラシの完成】H27.7.2


今回の而今の会 演奏会は、「しるしプロジェクト」主催による「葉月の陣屋・三曲の宵」というイベントの中に位置付けられています(詳細は「而今の会ブログ」の山口の執筆部分参照)。なので、「而今の会 演奏会」の演奏曲目等詳細までは掲載されていませんので、こちらで告知させていただきます。



日時:平成29年8月18日(金)「而今の会 演奏会」は19時開演
会場:飯島本陣陣屋(長野県上伊那郡飯島町飯島2309-1)
入場料:2000円
演奏曲目
・六段の調(箏:大庫こずえ、東 啓次郎)
・秋の七草(箏:大庫こずえ、尺八:山口籟盟)
・黒髪(三絃:東 啓次郎、尺八:山口籟盟)
・夕暮の曲(尺八:山口籟盟)
・笹の露(三絃:大庫こずえ、箏:東 啓次郎、尺八:山口籟盟)


なお、チケットのお問い合わせは、チラシに書かれている連絡先か、このブログをご覧の方は山口までメールを頂けますと、対応させていただきます。どうぞ、よろしくお願いいたします!

「而今の会」が、『邦楽ジャーナル』誌の取材を受けました!!

2017年7月号に、1ページ強にわたって掲載していただきました!!



くわしくは、「而今の会」ブログの方をご覧ください。
【而今の会のジャーナル記事の事】H29.7.1

メンバー3名による「取材後記」もぜひお読みください。

2017年6月25日日曜日

「而今の会」のオンライン下合せが進んでいます。

6月に入ってから、「而今の会」の「オンライン下合せ」に熱が入ってきています。

詳しくは、「而今の会ブログ」のこちらの記事を御覧ください。


【東版「笹の露」オンライン下合わせ】H29.6.12

【「笹の露」後の手事・オンライン下合せ【演奏動画付き】】H29.6.17

【「笹の露」中歌のオンライン下合せ【演奏動画付】】H29.6.24


これで、中歌から後歌まで、下合せできたことになります。
記事の順と逆になりますが、中歌から順番に動画を曲順に並べてみますので、もしよろしければご覧ください。








最初の師匠が亡くなりました。

私の恩人、尺八を始めるきっかけを作って下さった最初の師匠、都山流尺八の来田笙山師が、平成29年6月23日に亡くなりました。89歳でした。

この方が勧めて下さらなかったら、今の私はありません。この上ない感謝とともに、謹んでご冥福お祈り申し上げます。



写真は、今年4月に訪問した時の写真で、生前最後のご訪問となってしまいました。



24日(土)、お通夜に行ってまいりました。

お通夜の最後に、ご挨拶と献奏をさせていただきました。ご挨拶のために今までの人生を振り返ると、大学の部活、大学時代にお知り合いになったたくさんの方々、関西に移って修行時代に出会った方々、関西移住がきっかけで就職、結婚、妻も大学時代の学生邦楽の知り合い…と、現在の自分の立ち位置のすべての原点が、この尺八を初めて教えてくださった来田先生のおかげであるとあらためて気付き、そのようなご挨拶をさせていただきました。献奏は、来田先生に初めてお習いした古曲で、4月に最後に生前にお会いした時に先生の前で合奏練習をさせていただいた「黒髪」を演奏させていただきました。

25日(日)の葬儀では、冒頭に奥様の箏の御社中や、先生と同門の都山流師範の方々とご一緒に「六段」を、そして葬儀が終わって出棺の前に、ご挨拶と琴古流本曲「真虚霊」の献奏をさせていただきました。「真虚霊」の演奏のために席を立ち、尺八袋を紐解くとき、その紐の結び方、中継ぎの抜き差しの仕方を、初めてのお稽古の日にお習いしたことを思い出しました。23年経った今でも、この二つは来田先生に習った通りに続けています。ご挨拶では、そのことをお話しさせて頂き、まるで昨日のように思い出されること、こうして現在も続けさせて頂いている感謝の気持ちを述べさせて頂きました。「真虚霊」も、気持ちを込めて一生懸命演奏できたと思います。来田先生には安らかに旅立って頂きたいと心からお祈り申し上げると同時に、こうして若い頃から尺八に邁進するチャンスを頂いたことに深く感謝し、尺八界の活性化のために頑張って行きたいと気持ちを新たにしたところです。

2017年6月18日日曜日

「山口籟盟web尺八セミナー」の反応

「インターネット上の尺八講習会」とでもいうべき、「山口籟盟web尺八セミナー」を開講してから、2ヶ月が経ちました。

この間、「無料お試し版」の『黒髪』の閲覧回数は1200回を超え、セミナーの紹介サイトのアクセス数も増えてきました。また、「有料版」の方も8名の方に受講していただきました。「web演奏会」「ジョイントweb演奏会」が、時と場所を超えて琴古流尺八の「演奏」を聴いていただける場であり、ついにはそれがリアルな場での演奏会「而今の会」へと大きく前進してきているのと同時に、時と場を超えた「尺八講習会」の方も、少しずつですが着実に共感してくださる方に琴古流尺八の奏法や面白さをお伝えできてきているのであれば、本当にやりがいのある、ありがたいことであります。





そんな中、嬉しいメールを頂きました。
神奈川県のH様は、「定年退職後に尺八を始められた」とのことですが、たまたまYouTubeで僕の『黒髪』のwebセミナーをご覧下さり、質問のメールを下さいました。その研究熱心さに思わずうれしくなり、メールのやり取りをするなかで、「これは、きっと今の尺八に対するニーズが現れている考え方だ!ぜひブログをご覧のみなさまにもご紹介したい」と感じ、H様の許可を得て、メールの文章を転記させて頂くことにいたしました。ぜひ、ご覧いただけましたら幸いです。



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜以下、メール本文(お名前はイニシャルに変えております)〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

始めまして、Hと申します。
YouTubeで黒髪を検索した時にweb尺八セミナーを知りました。
お言葉に甘えて、幾つか質問をさせて下さい。

①「打改」の説明で〇点は表拍子、ななめ点は裏拍子とありましたが、音名の右側のななめ点は表拍子ではありませんか?表と裏が入れ替わるとも言われましたが「打改」の説明が分かりませんでした。
②黒髪の演奏で譜面に記されていない奏法(メリ込やスリ上げ、装飾音・・・)が使われているように聴こえますが、決まり事のような奏法があるのですか?
③「琴古譜の音符・指使い」資料で全音をカリと書かれていますがどのような意味なのでしょうか?カリは音程を上げる事と理解しています。

定年を過ぎて始めた尺八ですが、これまで竹村皓盟さんのお稽古用CD和することは聴くこと也と譜面を購入して練習をしておりました。
CDには譜面に記されていない音があり、譜面に書かれない決まり事があるように思えます。知る手立てをご存知でしたら教えて下さい。

お忙しいところ恐縮ですが、時間の取れる時で構いません。回答が頂ければ幸いです。宜しくお願いいたします。


H様

こんにちは。
僕の動画を見てくださり、ご質問くださって、とても嬉しく思っております。

さて、ご質問の件ですが、
1、音符の右側の点は表拍、左が裏拍であると同時に、表側だけ見たときに、「大きな表と裏」があると思ってください。別な言い方をすると「右→左→右→左」と、4つ点が進む間に、強弱でいうと「強→弱→中→弱」のような感じがあります。洋楽の4拍子とちょっと似ているかもしれません。ただ、これは普段演奏するときには殆ど意識することはないですし、黒髪は全く意識しなくていい曲だと思います。黒髪で「合いの手」の前に「打ち改め」が来ているのは、おそらく「合いの手」の最初のところがになるようにしたかっただけだと思います。昔の曲なので、どうしてもところどころ数が奇数になったりして整わないのですが、黒髪はそんなに不規則な方ではないです。もっと不規則な曲では、本当に「打ち改め」をしっかり意識しないと、表と裏が入れ替わってしまって、曲がおかしくなるようなものもありますので、ちょっと備考みたいな感じで説明を入れてしまいました。「夕顔」みたいに整っている曲では、本当にキレイに「4の倍数」で旋律が区切れ、「打ち改め」が楽譜中に見当たりません。

2、楽譜に注釈のないメリやスリ上げは、琴古流の伝統的な「アタリ」「スリ」と呼ばれる技法で、楽譜や教則本には載っていません。琴古流では伝統的にこうした「装飾技法」にこだわる芸風であり、その入れ方は修行を重ねる中で会得していくものという認識が強かったようです。また、その入れ方のセンスの良さが、尺八の上手さのうちの一つと認識されてきたのではないかとも思えます。僕自身もパターン化されたマニュアルを教わったのではなく、10年間の修行の中で師匠から曲を習っていく中で、刷り込まれるようにして、また盗むようにして意識的・無意識的にできるようになっていったように思います。ただ、今回、このweb尺八セミナー」を開催するにいたり、やはりこうした技法はパターンごとに整理し、規則性を明らかにしてみたいという思いがあり、全曲セットのバージョンにつけている「特典動画」にはどういう音のパターンのときにどういうアタリやスリが入るかというルールを分析して解説しております。もしご興味がありましたら、受講をご検討くださいましたら幸いでございます。

3、現在は尺八の2大流派のうち、都山流の方が圧倒的に人口が多数ですので、都山流の「メリカリ」の定義が広く流通しているように思います。都山流では、普通の音を「全音」、琴古流でいうメリの音を「半音」、琴古流の中メリを「メリ」といいます。そして、「全音」からアゴをカッて半音上げた音を「カリ」と呼んでいます。これは、都山流が西洋音楽の影響を受けた流派なので、「全音」「半音」という音の認識になったものと思われます

しかし、琴古流では元来、都山の全音を「カリ」都山の半音を「メリ」といいます。「メリハリ」という言葉の語源が「メリカリ」だといいますが、要するにくぐもった暗い音が「メリ」明るく抜けた音が「カリ」なわけですね。尺八はもともと尺八古典本曲を吹くための楽器ですから、「メリ」と「カリ」しかないわけです(琴古流本曲に、ごくまれに「中メリ」が出てきます)。それに対して、明治以降、地歌箏曲と合奏する「外曲」が盛んになると、本曲で使っていたメリカリや指使いの種類だけでは、細かい転調や調弦替えの音が足りなかったわけです。ですから、「中メリ」とか「大カリ」というものが生まれたわけですね。この「大カリ」というのは、ロやチで使いますが、音階上ふつうの(都山の全音、琴古のカリ)ロやチから「さらに」アゴをカッて半音上げた音をムリヤリ生み出した音なんです。昔の尺八はもともと第3孔が今より上にあり、チのピッチが高かったので、本当にチを大カリすれば求める音程まで(リのメリと同じ)上がったんですね(現代管ではムリなので、「リのメリ」で代用)。ですから、チの横に「大カリ」「大カ」などと注釈が書かれていました。しかし、それが次第に省略して「カリ」「カ」だけ書かれたりしたこと、古典本曲をベースに持たない都山流が、琴古流の大カリのことを「カリ」と呼び、その言い方が広まっていったことなどから、琴古流の中でも呼び方が混在するようになってしまったようですね。僕はこういう混在をさけるために、伝統的な「大カリ」の語を使い、都山流でいうところの「全音」を「カリ」と解説しましたが、現在の琴古流でも混在が続いているのが実態といえると思います。


定年を迎えられましてから尺八を始めるに当たりまして、伝統的な技巧や音色を特徴とする琴古流と出会われ、ご熱心に研究していらっしゃるご様子に、琴古流奏者として心から喜ばしくありがたく思っております。ただ、おっしゃいますように、琴古流は近代以前に成立した古い芸系であるだけに、教授方法も演奏技法も画一的な明朗なものが存在していない面があります。ベストなのは親しく教授者のもとでお習いになることだと思いますが、竹村先生(同じ琴古流竹盟社の系統の先生ですね)のCDで研究されているようですし、動画等を探せば現在はかなりの資料がありますので、そういうものをご活用されればたくさんの発見があるように思います。しかし、もしお近くにいい先生がおられましたら、入門して基礎から正確にお習いになるのもいいと思います。どうぞ今後とも琴古流尺八を楽しまれ、充実した音楽活動をなさいますよう、心よりお祈り申し上げております。



早速の丁寧なご回答に感じ入りました。ありがとうございます。

「琴古流の装飾技法解説」は是非とも見たいと思います。

YouTubeでの「web尺八セミナー」は独習に最善な方法と思います。
これに、譜面を指しながらの唱譜映像が加われば、調子の取り方・流れがもっと掴みやすくなるので欲しいところです。

尺八は音色が好きで手にしました。ポピュラーな曲を楽しんでいますが、古典本曲・三曲に関心を持ち始めてから、流派や会派の違いによる音名や装飾技法のややっこしさに困惑しています。年も年ですので、古典本曲・三曲は幾つかの曲をそれなりに吹ければ良いと思っています。

尺八愛好者が広がって行くことを願い、更なるご活躍を期待しています。


※注:このメールを頂いた時に、同時に「web尺八セミナー」の受講を申し込んで下さいました。


こちらこそご丁寧な返信、およびweb尺八セミナーの受講をどうもありがとうございます。映像および楽譜へのリンクのURLメールは無事届きましたでしょうか。

各曲とも、「黒髪」と同じく、演奏動画と楽譜の映像を並べております。「唱譜しながら楽譜の映像」の方がいいかなと作成時にも思ったのですが、それだとどうしても1本ごとの映像が長くなってしまう(1本1時間半くらいになる)ため、演奏しながら楽譜を指し示していく方法といたしました。ご参考になれば幸いです。

セミナーの内容は、基礎的なところからかなりマニアックな難しめの内容まで、通常の尺八教室では触れないような中身も入れています。これは、教室だと「曲数を重ねながら、段階に応じて少しずつ解説をステップアップ」ができるのですが、こういうweb上のセミナーだとその映像1時間程度で、すべての要素を入れないと、その1映像きりの講習チャンスとなってしまうからです。ですので、すんなりご理解いただけるところと、1回では中々理解しにくいところがあるかもしれません。そういうところは遠慮なくご質問くださったり、何回も見ていただければと思います。繰り返し見ることができるのは「動画」の利点だと思います。


情報化社会の現代は、価値観もニーズも多種多様であり、そんな中尺八、特に古典の三曲合奏や本曲などに興味を持って下さったのは本当に嬉しいことです。「伝統芸能」ということで、これまで「入門」とか「古来の師弟関係・しきたり」とか、敷居の高さがあったのですが、僕はこうした日本の純邦楽も、アイリッシュやフォルクローレみたいに純粋に「民族音楽」として楽しめるものになってほしいと願っています。H様がおっしゃるように、「古曲のレパートリーは数曲で楽しめればいい」という需要も少なからずあるはずだと思います。そうしたニーズに、当方のwebセミナーがお答えすることができるならば、大変光栄なことです。今回のwebセミナーは、そうした視点からも、初傳の中でも特に有名な人気曲5曲をセレクトし、琴古流で最も標準的な「青譜」に準じた楽譜の奏法にしておりますので、ご期待に添えれば嬉しいです。


それから、もしよろしければ、web尺八セミナーのホームページに、「受講された方のご感想」というコーナーがあるのですが、こちらにこのメールのやり取り(黒髪のご質問とそのお答え、それから先ほど頂いたメールの受講理由等)を抜粋(注:結局、「全文」の掲載をお願いしてしまいました)して掲載させて頂けませんでしょうか。おそらく、H様と似たような思いを持っておられる方は少なくないように思います。僕は伝統的な修行期間を通して尺八奏法を学んできましたが、今日の純邦楽の人口減を見るにつけ、もう旧来の敷居の高い教授法方・演奏会の形式のみでは、邦楽界の閉塞感は打破できないと考えております。そのため、web尺八セミナーもそうですが、ネット上の演奏公開や、遠隔地同士の和楽器奏者による「オンラインの共演」などにも力を入れています。またこの夏、その「オンラインの共演」が現実の演奏会となり、長野で演奏会も行います(「而今の会」)。現在は「価値観への共感」が大切な時代であり、そのための情報発信は積極的に行っていきたいと考えております。ご本名はイニシャル等に変えてふせますし、抜粋した後の文章は一度目を通していただき、ご了承を頂いてからアップします。何とぞご検討くださいますよう、よろしくお願い申し上げます。

長文となりましたが、まずはこのたびはどうもありがとうございました。取り急ぎ御礼申し上げます。



web尺八セミナーの楽譜を印刷しました。
手元に六段、千鳥の曲、八千代獅子の譜面がありますが、ダウンロードした譜面は山口籟盟さんが作成されたのですね。完成度の高さに驚いています。映像はまだ見ていませんが期待が膨らんでいます。

「受講された方のご感想」に使える部分がありましたら使って下さい。応援したいです。

尺八の演奏形態には三曲合奏、独奏、尺八だけの合奏、西洋楽器との合奏等、好みや許される環境や条件で様々だと思います。にも拘わらず、これらの思いに応える教授方法の遅れが、尺八愛好者が広がらない要因としてあると思います。

邦楽や古典本曲は日頃、耳にしないので尺八に関心を持つ機会は殆どありません。歌謡曲が邦楽だと思っている人も多いと聞いていますし、尺八は「首振り3年コロ8年」息切れで目まいをしても音が出せない楽器という語り草も良く聞きます。

一方、尺八でポピュラー音楽を演奏していると、尺八の音を始めて生で聴きました。ポピュラー音楽に使えるのですね。音色が良いですね。とか、尺八に興味を持つ人もいます。尺八の音色は人の心に何かを響かせるのだと思います。楽器としてもっと手軽に楽しめる環境ができればと願っています。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜以上、メール本文〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


H様、掲載のお許しをいただき、本当にありがとうございました。
きっと、これをご覧になった多くの方が共感してくださるのではないかと思います。
そうした思いに、微力ながら少しでもお応えしていくことで、尺八界の活性化に貢献していきたいと考えております。
今後とも、自分なりに価値観の提案や情報発信を積極的に継続していきたいと存じますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。

【山口籟盟web尺八セミナーの詳細はこちら!!】

2017年6月1日木曜日

【web演奏会】10分で琴古流本曲「巣鶴鈴慕」

32回山口籟盟web演奏会【10分で琴古流本曲(20)「巣鶴鈴慕」】
ふだんなかなか耳にする機会のない琴古流尺八本曲を
聴きやすい「10分程度」の演奏でお届けするシリーズです。

琴古流本曲表のうち20曲め、表の曲の最後を飾るのが「巣鶴鈴慕(そうかくれいぼ)」です。「琴古手帳」によれば、京都宇治吸江庵にて龍安より下総一月寺の御本則小嶋丈助(残水)が伝来し、同人から琴古が伝承したということです。かつては「鶴の巣籠(つるのすごもり)」と称したようですが、琴古の高弟・宮地一閑の一門(一閑流)において「巣鶴鈴慕」と称すようになり、のちに豊田古童が一閑・琴古両流の流れを受け継いだ関係で、それ以降の琴古流においては「巣鶴鈴慕」と呼ばれるようになったということです。

「鶴の巣籠」とは、尺八本曲、さらには胡弓の本曲としても有名な楽曲であり、地域ごとに様々な伝承が伝わっています。「焼け野の雉子(きぎす)、夜の鶴」という言葉があり、これは「野を焼かれるときに雉(きじ)の親は身の危険をかまわず子を助けようとするし、寒い夜、巣篭もっている鶴は、自分を忘れて子を暖めるためにその翼で覆うものである」つまり親の子に対する深い愛情を意味するものだそうです。「夫婦愛」を描いた「鹿の遠音」とともに、「親子の愛情」を表現したこの「鶴の巣籠(琴古流では「巣鶴鈴慕」)は、普化宗の禅味を帯びた宗教的楽曲の多い尺八古典本曲の中でもとりわけ表現的技巧に富み、名曲と称されることが多いように思います。江戸時代から「尺八の曲といえば鶴の巣籠」というイメージを持たれるほどに有名だったようで、歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」九段目で、加古川本蔵が虚無僧姿で登場して吹くことでも有名です。

琴古流の「巣鶴鈴慕」は十二段から成り、鶴の巣づくり、子育て、親子の情愛、そして子の巣立ちまでを描いています。曲調の特色としては、1・2孔を交互に開閉してトレモロのような音を出す「コロコロ」、喉仏でフラッターのように小刻みの音を立てる「玉音(たまね)」などが羽ばたきや鶴の鳴き声を表現するほか、この曲にしかない独特の指使いやアタリ、連続音の指使いなどが多数あり、36曲ある琴古流本曲の中でも特に高度な技巧を要する難曲とされています。また、この曲は琴古流尺八の人間国宝で竹盟社宗家であった故・山口五郎師の「十八番」としても有名で、昭和52年(1977)に米国無人惑星探査機「ボイジャー2号」に搭載された、いわゆる「ゴールドディスク(「地球の音」を宇宙に向けて発信した純金製のレコード)」に、「日本を代表する音」として五郎先生の演奏された「巣鶴鈴慕」が収録されています。竹盟社の琴古流尺八演奏家としても、特に「巣鶴鈴慕」は会派の誇りとする代表的楽曲であると同時に、演奏するのに大変気が張る曲でもあります。

「巣鶴鈴慕」は同一フレーズの繰り返しが多く、大体どの旋律も3回の繰り返しが譜面に指事されています。ただ、実際の演奏ではそうした繰り返しは省略することが多く、もし省略した場合でも十二段すべての旋律を演奏するとなると20分以上の時間を要します。私が師匠からお習いした際は、この「3回繰り返し」を省略し、全十二段を通す「23分バージョン」と、十二段すべてを演奏するわけではないものの、主な旋律や曲の聴きどころを中心に抜粋した「13分バージョン」の二通りをお習いしました。今回は後者の「13分バージョン」の演奏(実際の演奏にかかったのは12分と少々)をお届けいたします。難曲ゆえ、全ての旋律が完全な理想通りの仕上がりとまでは言えませんが、現段階での自分の力で演奏した「巣鶴鈴慕」ということで、お聴きいただければありがたいです。

なお、この「巣鶴鈴慕」で琴古流本曲の「表の曲」が全て終了します。20ヶ月をかけて、琴古流本曲の表の曲を全て演奏公開することができましたのも、聴いてくださる皆様のおかげと心より感謝申し上げます。

それから、この「巣鶴鈴慕」のあと、私、山口籟盟の「web演奏会」は、しばらくお休みを頂きます。「web演奏会」名義の動画が32本、「ジョイントweb演奏会」や、その他のライブなどの動画も含めると50本程度の動画を公開させて頂くことができましたが、「而今の会」の準備が本格化してきたことと、ちょっと一度「オフ」にすることで、しばらく自分の演奏と動画との関わり方を見直してみたいと考えております。これまで長らくの「動画での演奏会」のご愛顧、本当にどうもありがとうございました!!





「山口籟盟web演奏会」は、ふだんなかなか耳にする機会のない

尺八音楽を、インターネット上で公開する取り組みです。

2017年5月27日土曜日

「而今の会」メンバー3名の「素顔」記事リレー

「而今の会」ブログで、4月末~5月にかけて、メンバー3人の「素顔」にせまる記事リレーを掲載しました。

「而今の会の3人って、一体どんな人たちなんだろう
そんな風に興味を持っていただいた方には、その一端をご覧いただけるかもしれません。

どうぞ、ご覧ください。


・東啓次郎さん


・山口籟盟


・大庫こずえさん


2017年5月14日日曜日

筑前琵琶の石橋旭姫さんとの共演、再び!

筑前琵琶の石橋旭姫さんとご一緒に、JAPAN TRIODE MEETING FUKUOKAという、世界的なオーディオ・イベントにて演奏させていただきました。

大正8年の建築だというご本堂は、本当に「日本建築ならではの、和楽器本来の響きが味わえる空間」であり、素晴らしいものでした。

今回は世界でも指折りのオーディオ・マニアの方々の前での演奏ということで、照明もほぼろうそくの明かりのみで、かつての日本で純邦楽を奏でていたであろう空間を再現しての演奏でした。海外の方が非常に多かったですが、とても熱心に演奏を聴いてくださり、演奏終了後には琵琶にも尺八にも人だかりができて、熱心に質問をしたり楽器に触れてみたり、演奏の感想を熱く語ってくださったりと、心から「ここで演奏してよかったなぁ!」と思いました。

石橋さん、そして演奏機会をくださったJTM主催の皆様、本当にどうもありがとうございました。

 

2017年5月13日土曜日

【web演奏会】10分で琴古流本曲「鈴慕流」

31回山口籟盟web演奏会【10分で琴古流本曲(19)「鈴慕流」】
ふだんなかなか耳にする機会のない琴古流尺八本曲を
聴きやすい「10分程度」の演奏でお届けするシリーズです。

琴古流本曲表のうち19曲めは、「鈴慕流(れいぼながし)」です。「琴古手帳」によれば、一月寺御本則橋本半蔵(左文)より傳来した曲で、そのときに「葦草鈴慕」を懇望されたので、勇虎尊師に届けた上で交換伝授を行ったということです。

琴古流以外の古典本曲の伝承の中には「流し鈴慕」という曲名も聞きます。同一曲かどうかは詳しく分かりませんが、古来、虚無僧の托鉢行脚の際に吹き流して歩いた曲かと思われます。「鈴慕」という曲名は、普化宗においては「普化禅師の鐸(大きな『鈴』)の音を『慕』って、弟子の張伯が普化尺八の原型の竹笛を吹いて付き従った」という故事から来たものとされていますが、その語源が真実であるならば、漢文の文字列(動詞が目的語の前に来る)からして「慕(レ)鈴」となるべきはずであり、実際には「れんぼ(恋慕)」という一節切の曲にそうした伝説を結びつけた、後付けの当て字と解釈すべきものであるようです。ただ、この「鈴慕」が名前に含まれる琴古流本曲・古典本曲は実に数が多く、もともとは「虚無僧が托鉢で吹き流す曲」というニュアンスを持つタイトルだったのが、「巣鶴鈴慕(琴古流における「鶴の巣籠」の改名されたもの)」のように単に「尺八の曲」というだけの意味を持つ接尾語みたいに使われるようにもなり、これが「〇〇鈴慕」という楽曲が爆発的に増えた原因なのではないかと考えられます。「むかいぢはれんぼの和名」と記す古書もあることから、一番最初は「霧海篪=鈴慕」であったとする説も聞いたことがあり、それが事実であるとすると琴古流における古伝三曲の1曲目が「霧海篪鈴慕」というタイトルであるのは、非常に歴史的にも的を得た題名であるように思えます。また、確かにこの「鈴慕流」も「霧海篪鈴慕」と共通する旋律形(「ヒゝゝゝゝ…」の多用など)は感じられますので、元をたどると「霧海篪」と関係する楽曲なのかもしれません。現在では「古伝三曲」として重く扱われる「霧海篪」ですが、昔は本曲は「霧海篪鈴慕」「虚空」から習っていた(琴古流本曲の曲順においても、かつては最初の楽曲であった)という話も聞いたことがありますし、そうであるならば、「尺八で最初に習う曲=鈴慕」ということで、その後に習う多くの楽曲が派生形としての「〇〇鈴慕」であるというのも首肯できます。…小難しい話がいろいろと出ましたが、まあいずれにせよ「〇〇鈴慕」という楽曲が数が多く、どれも虚無僧が托鉢時に「吹き流した」という性質を受け継いだものであるということからすれば「鈴慕流」という楽曲名は、そうした「鈴慕」たちの中でも、かつての本質をより濃く残す1曲なのかもしれません。

ちなみに、web演奏会「10分で琴古流本曲」シリーズのアクセス数を見ると、「琴古流本曲の10分程度の抜粋」という同一条件ながら、やはり楽曲ごとに人気の差があるようで、ここ最近にアップした曲の中では「葦草鈴慕」はやはり「楽曲がいい」というご評価を頂いたというか、実際にアクセス数も他の曲より多めだったり、「いい演奏でした」という暖かいコメントもいつもよりも沢山頂いたように感じました。その「葦草鈴慕」を橋本半蔵に「懇望」されて初代琴古が伝授したというのも、平成の現代のネット上の演奏結果からみても「なるほど!」と思うものであると同時に、この「鈴慕流」も演奏してみると確かに独特の趣があり「いい曲だなぁ~」と感じるものであります。琴古流本曲の中でも人気曲の方であり、NHKラジオなどでも時々取り上げられています。「流す」という語感が当てはまるような「レーゝー、ツメ~レーゝー、ツメ~レー、ヘー」という旋律形があり、個人的にも大変気に入っています。この「10分で琴古流本曲」という取り組みを始めたきっかけが、「琴古流本曲の受ける不当に低い評価を少しでも改善したい」という思いがあったわけですが、まさにこの取り組みの結果、こうした傾向が浮上したということはとても嬉しいことであり、やりがいを感じた次第でありまして、いつも動画をご覧いただいているみなさまには心より感謝申し上げると同時に、今回の「鈴慕流」もぜひご視聴くださいますよう、よろしくお願い申し上げます。



「山口籟盟web演奏会」は、ふだんなかなか耳にする機会のない

尺八音楽を、インターネット上で公開する取り組みです。

2017年5月5日金曜日

アゴあたりのすべり防止には、ベビーパウダー

暑い季節が近づいてきましたね。

この季節が来ると、僕の心配事は
「アゴあたりがズルズルすべること」
です。

冬は乾燥肌、夏は汗っかき…
困っています。


今日も、「笹の露」「残月」といった長い曲を練習すると、アゴのところに汗がにじみ始め…


…と、たまたま思いついたのが、
「アゴあたりにベビーパウダーを塗ると解決するのでは!?」
という思いつきなのです。



なぜ「ベビーパウダー」を持っているかというと、実は尺八とは完全に別件で、クルマのメンテナンスに使用するために最近購入していたのです。

そのメンテナンスというのは、こちら

レガシィのダッシュボードが、経年変化でべたつき始めたので、半信半疑ながらこの通りにやってみたのでした。ちなみに、こちらの方は本当にうまくいったので、ブログでレポートしなければ…と思いながら、そのままになっていたんですが…



話を戻しまして、で、尺八のズルズルすべりに効果があったかというと、ありました!!


汗がにじみ出て、普段だったら「こりゃ、やばい!」というレベルになる、額の汗、首筋の汗が気になるレベルになっても、アゴあたりだけは嘘のようにいつもの通りです。

これは、個人的に非常に大発見でした。

どのくらいの量を、どのタイミングで塗れば適切なのか、といったあたりはこれから研究を要しますが。尺八のアゴあたりにベビーパウダーが着くのが気にはなりますが、とりあえず夏の汗かきシーズンを無事乗り越えられるのであれば、有力な対策法が見つかったと言えそうです。また、詳しく使用方法が固まりましたら、続編のレポートをさせていただきます!

2017年5月3日水曜日

今日で5年目

吹料である、利道道仁銘の八寸管が手元に来て、ついに5年を迎えました。


※本日5年目を迎えた利道道仁銘八寸管


※吹き始めた当初の写真


吹料(ふきりょう)とは、「その竹で尺八家として身を立てていく楽器」というようなニュアンスの言葉で、琴古流において愛管・メインの尺八(特に八寸管)を呼ぶ時に使います。この言葉の詳しい成立過程は存じませんが、雰囲気的には虚無僧がその竹を吹いて托鉢し生きる糧を得るとか、尺八のお師匠がその竹で教授活動や演奏活動を行なって生計を立てていくとか、そんなフィーリングです。例えば山口五郎先生のあの焦げ茶色の曲管、あの五郎先生の「身体の一部」であるかのような存在感、まさに琴古の「吹料」という言葉の代表格のような竹だと思います。



5年前の53日、ゴールデンウィークの初日は、関西から郷里・福岡に転勤して最初の年でした。息子が生まれる直前で、妻は里帰りしており、僕はひとり愛車・レガシィに乗って阿蘇の利道さん宅までウキウキしながらアクセルを踏んでいました。何だかとても昔のことのような、しかしまた割と最近の事のような気がします。


あれから5年、前よりは少し色がつき、上管の中継ぎ部分にヒビが入ったので利道さんご本人に一巻き修理していただいた以外は特にノントラブルで今日までたくさんの演奏を重ねることができました。「古管」ではないのですが、僕自身が「九州の竹の音色」を感じながら、自分の楽器として琴古流尺八の演奏をしていく上で、とても自分に似合った竹だと思います。特に「リ」の音色が気に入っていて、これは吹き始めた時から僕の中で大きなポイントの一つです。琴古の竹は、乙のロばかりがビンビン鳴るようにはなっておらず、レとか、リとか、それぞれがしっかりとした音色のキャラクターを持つようにバランスよく作ってあると聞いたことがありますが、まさにそんな感じです。本曲の特殊な手も全てきちんと出ます。現代管の中には、ピッチや鳴りを重視した調律を優先することで、かなり特殊な本曲独特の指使いは鳴らなくなってしまっている尺八も多いのです。



利道さんは残念なことに数年前に亡くなってしまわれましたが、この尺八を大切に演奏し続け、その音色をこれからもたくさんの方に届けて行きたいです。自分が老いた時に、焦げ茶色の「古管」になっているのを目指します。

2017年4月29日土曜日

「地歌箏曲を楽しむ」とは

三曲界に身を置いていると、「古曲」「古典」という言い方をよく耳にします。



いわゆる「地歌箏曲」を「古曲」「古典」と呼ぶようになったのは、もちろんその対義語としての「新日本音楽」「新邦楽」「現代邦楽」が出現したからというのも理由の一つでしょうが、その呼び名のニュアンスからして「伝統的で正当なもの」「崩したりよそに漏らしたりしてはいけない伝承曲」あるいは「昔の古臭い面白くない曲」というような、様々な思いが含まれている言葉のように感じています。

僕自身は「古曲」「古典」という言い方は個人的にあまり好きではなく、基本的に「地歌箏曲」とか「三曲合奏」とか呼ぶようにしています。それは上記のような付随するニュアンス抜きに、単純に「そういうジャンルの一つの音楽」として捉えたいからです。そして僕はこの「地歌箏曲」がとても好きで、尺八奏者としてのレパートリーの中では琴古流本曲とともに「琴古流尺八の両輪」として大切に演奏していますし、音楽として楽しんでいます。



さて、この「地歌箏曲」が今後どうなっていくのか、もっと言うと音楽としてこれからの時代生き残っていくのかということを考えてみると、正直結構つらいのではないか…と予想されます。

理由なんですが、音楽的に考えてみると、まず1曲の長さが人間本来の集中力を大きく超えるほど長い。短い「六段」や「八千代獅子」でも10分弱はかかりますし、「八重衣」などは30分弱。シングルレコードの1曲は3分程度、これが通常一般の人間が特別な訓練なしに1曲を集中して聴ける時間なんだそうですね。クラシックの中でも、バロック時代の楽曲からモーツァルトくらいまでは、1曲の区切りが結構短い(短い区切りがかなり何曲も続いて1曲のまとまりになってはいますが)。王侯貴族が聴いて楽しんだり自分が演奏したりするために作っていた楽曲は、やはり「人間本来の集中力」を大きく逸脱していないわけですね。

それが、クラシックの世界でも、ロマン派以降はどんどん1曲の長さが長くなっていき、マーラーに至っては交響曲の長さが1時間を超えたりします。これは音楽の楽しみ方が「オトナの背伸びした教養」的な要素が強くなってきたこととも関係しているのではないでしょうか。ブラックのコーヒーとか、ビールの苦みとか、もちろん「味覚」として純粋に好きな人も元来いる(僕自身も両方好きです)でしょうが、「オトナの味覚」に憧れてというか、そういうのが「カッコイイ」「ステイタス」みたいな感じで、最初は苦手なのを「慣らしていって」好きになるみたいな要素があるじゃないですか。クラシックも地歌箏曲も、そういうところがあるんじゃないかと思うんですよね。ジャズにもそういう要素があるそうで、ネット上でジャズ・ギタリストが話題にされていたブログ記事も読んだことがあります。


しかし、インターネットが普及する前の情報量が限られていた時代と違って、今はあふれるくらいの情報量、音楽一つとってもあらゆるジャンルの楽曲や演奏動画がYouTubeで視聴できるというこの昨今、人々はみんな「カッコつけ」なくなり、みんな自分の価値観に正直ですよね。「いいものはいい」「つまらないものはつまらない」。あえて、初期のガマン時期を乗り越えてまで、人間本来の集中力を大幅に超過する音楽だけを追い求めなくても、本当にたくさんの選択肢があり、心に響く音楽を見つけることができます。「ストイックがカッコイイ」みたいな感じが終焉したとも言えるのではないでしょうか。




さて、話を「地歌箏曲」に戻しますが、なぜこうした音楽が成立し今日まで伝承されてきたかを考えると、「流派」や「社中制度」に支えられた「教授産業(邦星堂・大橋鯛山氏の語)」だったから、というのが現在まで色々調べたり考えたりしてきた僕の最終的な結論です。

ヨーロッパでは、音楽家や画家などが生きていくのを支えたのがパトロンだったそうですね。ケタ違いの巨大な富を持つ諸侯や貴族が、自分の勢力や教養を誇示するのも込みで、お気に入りの芸術家を抱えていた。モーツァルトが幼い頃からあちこち旅したのも、そうした抱えてくれるパトロンを探すためだったようですね。しかし、日本ではその代わりに「家元制度」が発達した。これは、トップのお家元(芸術家)を、複数の支持者(社中内のお弟子さんたち)が支える、いわば「日本版・分担方式のパトロン制度」と言えるというような説明を耳にしたことがあり、僕がこれまで色々調べた中でもっとも納得のいく説明でした(出典は失念してしまいました)。そうすると、「師匠が弟子に芸を伝授」するという体制の維持が、家元制度の維持(芸術家の生計の維持)に直結する。すると、楽曲は奥に行けば行くほど長く、難しくなり「永遠に勉強」方式となる。また、「芸を他に漏らす」ということは上記の体制維持にとって死活問題ともなりうるので、「流派内の囲い込み」も起こる。邦星堂和楽器店で尺八制作をされている大橋鯛山氏のブログで「教授産業」と表現されていますが、まさに地歌箏曲はこうした「家元制度」「社中制度」「教授産業」とセットで、これまで生き残ってきたわけですよね。だから、正直イマイチ良さを感じていなくても「古曲」「古典」などの語で一定の敬意が払われ(あるいは反発派からは「現代邦楽」の対義語・権威主義の象徴として槍玉に挙げられ)ながら、今日まで存続してきたのだと思います。しかし、それもネットの普及による、時代と価値観の変化によってあやうくなってきた、まさに今はそんな段階だと思います。




僕はこの「地歌箏曲」が心から大好きです。それは「音楽として」です。小さい頃からクラシックを身近に聴いてきたことや、高校時代にロックからプログレの方に音楽趣向が移ったことなどから、もともと「長い楽曲」「多様な曲調」には自然と慣れていました。高校時代に自身のバンド結成が失敗に終わり、独学で始めたギターの技術に限界を感じた時に僕を楽しませてくれたのが、少年時代から始めていて自分にとって最も「思い通り」に扱えた尺八という楽器であり、楽器屋で買った「古典ライブラリー」という三曲合奏のテープとの合奏練習でした。邦楽とは無縁の家庭で育ったにも関わらず、ここまで「地歌箏曲」が好きな自分という人間もいるということは、地歌箏曲には上記の「家元制度」や「教授産業」による保護的な生存過程はあったものの、高い「音楽的価値」があるからこそ今日まで伝えられてきたのだと確信しています。そしてまた、日本全国を見渡せば、たとえ小数派であるにせよ、こうした「地歌箏曲の音楽的価値」を感じてくれる人というのは、これからも絶対いるのではないかと考えています。僕たちがこれから目指すべきは、こうした「地歌箏曲の音楽的価値」を感じてくれる人に、しっかりと充実した情報や演奏活動をお届けし、多種多様な価値観が並存するこれからの時代の中で、たとえ少数派になりつつも「地歌箏曲を音楽として楽しんでいける環境」を構築し、ともに楽しんでいくことなのではないかと考えています。

ですからもう、「芸の囲い込み」とか、「流派や社中制度の維持」などに躍起になっているべき状況ではないと思うんですね。僕自身が伝統的な琴古流の教授体系の中で初傳から師範を頂くまで教育していただき、そのおかげで今の琴古流尺八の技術を勉強させていただいたことは、心から感謝していますし、幸運なことだったと思います。自分自身は伝統的な教授体系のあり方も好きだし憧れや尊敬の念も抱いていますので、本当はこうした伝統的な教授体系や演奏スタイルまるごと一式の保存・伝承が望ましいと考えていました。しかし、もはや邦楽界の人口減は「待ったなし」の様相ですし、日本全国規模で見ても本当に少数派になりつつある「地歌箏曲ファン」が充実した活動をしていけるためには、もう元来の地域に根ざした「三曲協会」の規模やくくりなどでは難しいということを、地方に移住してから痛感しています。そうした中で考え出したのが、インターネットで演奏動画を配信する「web演奏会」の取り組みや、動画公開やSNS上での交流から得ることができた心から信頼出来る音楽的同志「而今の会」の結成、というわけです。さらに最近、教授方式においても新しい取り組みを始め、ホームページ上で公開の運びとなりました。これから、本当に少数派になっていくであろう「地歌箏曲ファン」とともに、現代のこの状況の中でも純粋に「音楽として」地歌箏曲を心から楽しんでいきたいものだと、気持ちを新たにしている今日この頃です。