2016年3月12日土曜日

筑前琵琶の曲の手付け

ご縁があって、筑前琵琶の方から楽譜を紹介して頂き、
尺八の手付けをさせて頂いております。




ふだん耳慣れている地歌箏曲とは、また違った趣があり、
面白いです。
歌というか、語りに対して手がついている感じで、
拍子の雰囲気も地歌とは違いますね。
馬に乗って駆けていくような、躍動感のある手もあります。
これまで、琴古流の三曲合奏で培ってきたニュアンスを生かしながら、
琵琶楽ならではの新しい表現方法も探っていきたいと思います。


意外だったのが、琵琶譜の横線が、三味線の文化譜のように
「糸」を表しているのではなく、
ギターで言えばフレットにあたる「柱」というポジションを
表しているということです。
偶然にも、琵琶の弦の数と同じなのですが(5弦だそうです)。
どの弦かを表すのは、線の上の丸印の種類で表すそうです
(黒丸だったり、三角だったり…)。


ちなみに、われわれ三曲界の人間は、つい「柱」とあると
箏のように「ぢ」と読んでしまいやすいですが、
琵琶では「ぢゅう」と読むのだそうです。おもしろいですね。


調弦の仕方などの資料も頂きましたので、
色々勉強していきたいです。
ふだん中々ご一緒しない邦楽器どうしの交流は、
とても新鮮で楽しいです。





ちなみに、筑前琵琶と琴古流は、ともに福岡県と縁深い芸能
という共通点があります。

中世の盲僧琵琶の頃から、琵琶は薩摩と筑前を中心に伝えられて
きたそうなのですが、そのうち筑前盲僧琵琶から宗教性を脱し、
家庭音楽として発展してきたのが筑前琵琶とのこと。
その成立・発展には、福岡藩士の娘である吉田竹子女史の活躍
が重要な役割を果たしたということです。

一方、琴古流尺八の流祖である、初代黒沢琴古(1710〜1771)
もまた福岡黒田藩士であり、琴古流尺八本曲中の重要な楽曲、
「古伝三曲」や「鹿の遠音」「波間鈴慕」などは、琴古が19歳
のとき、長崎の正寿軒という虚無僧寺で伝授されたもの。
その出発点は九州・福岡であるということもできるように思います。



これまで、あまり多くの関わりを持って来なかった、筑前琵琶と
琴古流尺八。有意義な交流ができたらいいなと思います。

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