2018年4月15日日曜日

「日本版パトロン制」としての家元制度

「なぜ日本の伝統音楽は、アイルランド民謡などのように、一般市民の生活の中に深く入り込んでいないのか」、そんな話題がネット上にありましたので、私見を述べてみたいと思います。


出典を失念してしまいましたが、僕が聞いた説明の中で最も腑に落ちたのが、「家元制度」とは、日本版のパトロン制度である、という見解です。

「パトロン制度」とは、ヨーロッパのルネサンス期などに、巨大な富を持つ王侯貴族が、自分の財政的・文化的な力を誇示する側面も込みで、お気に入りの画家や音楽家などを自分専属の「お抱え芸術家」として生活の一切を養いつつ、作品を作らせることですよね。

音楽に限らず、芸術のお仕事をされる方なら納得いくと思いますが、とにかく「芸術で食っていく」というのは難しい。かのモーツァルトも、自分を雇ってくれるパトロンを求めて、長い長い旅を続けたのだといいます。逆にパトロンに雇われると、その王侯貴族の依頼に応じて好まれる楽曲をかき、暮らすことができる。故に、モーツァルトの曲は、クラシックの中でもそんなに曲長が長くなく、明るく軽妙洒脱で耳に入りやすい楽曲が多いですよね。

しかし、日本の場合は、ヨーロッパのような圧倒的に巨大な富を持つパトロンが芸術家を囲うようなスタイルにならなかった。その代わりとして生まれたのが家元制度だといいます。つまり、「芸術家(家元)」を沢山の門人が分担してお月謝や会費、免状代などで支えるような形態が出来上がったわけですね。



そういうスタイルだと、芸術家は門人に楽曲を「伝授」することによって、この体制を維持することになります。つまり、門人が「勉強し続ける」ための楽曲が必要なわけで、魅力的な曲であればあるほど「秘曲」として中々教えてくれなくなり、また奥の曲ほど曲長も長く、曲調も難解に。「味」を出すのも難しく、長い修行を経ないと曲の雰囲気が出ない、ということになってしまいます。地歌箏曲でも尺八本曲でも、長い曲だと一般人の自然な集中力では鑑賞が難しいほどの長大な楽曲が存在します。また、「この曲の良さが分かって一人前」みたいな、難解な「奥の曲」なども存在するようになるわけです。

もちろん、僕はそうした「奥の曲」を否定しているわけではありません。そういう曲の中にも、純粋に音楽的に大好きな曲が、数多く存在します。地歌箏曲の「八重衣」などは、全曲を通すと30分に迫る大曲ですが、あれだけ長いのに曲中の全ての旋律が光り輝いていて全く飽きが来ず、あっという間に時が過ぎていくのが信じられないくらいです。しかし(純粋に技術上の難易度の高さもありますが)、その「八重衣」を習うためには、長い修行を積んで奥の奥まで行かねばならない。例え習ったとしても、若いうちや、まだ習って月日を重ねないうちは「本物でない」ということで「お勉強」を積み重ねることになる。そうすると、とてもとても一般市民がその素晴らしさをあまねく味わえるような共通の文化的財産とはなりにくいわけです。

僕自身も、そうした難しい曲を弾けるようになるためには、長い修練が必要なのは間違いない事実だと思います。そしてそれは、邦楽に限らず、様々な音楽ジャンルどれをとっても共通だとは思います。しかし、上記の「日本版パトロン制度」を成り立たせるためには、「いつまでたってもお勉強」がセットになってしまうんですよね。「自分が弾きたいように弾けるための努力」という面を通り越した、「勉強」そのものが目的になってしまった「お勉強」。そういう一面が嫌いなわけではないのですが(そして僕自身もそういう価値観を大切に修行を重ねてきたわけなんですが)、正直それが現在の邦楽界の人口減(特に古典系)に関係してしまっているのは否めないと思います。



尺八本曲の「鹿の遠音」、箏曲「千鳥の曲」など、純粋に音楽として旋律も美しく、曲の構成や作曲の工夫に目を見張るような名曲も沢山あります。また、先程話題にあげた「八重衣」などは、三曲の演奏家でなくても、その音楽的価値を味わえる可能性を十分に持っている楽曲だと思います。折角そういう素晴らしい財産が数多くあるのにも関わらず、現代という時代に合わずに廃れていってしまうのは、あまりに勿体無いと僕は感じています。現代は、身の廻りに魅力的な文化が満ち溢れているだけに、そうした音楽的な魅力をストレートに感じてもらえるような工夫が急務だと考えています。

2018年4月13日金曜日

平成30年春、ブログタイトル刷新

美しい春の景色に、心がなごみます。

田主丸町内から南の方角を眺めると、「屏風山」とも呼ばれる耳納連山の美しい山肌が一望できます。
水田が一面ピンク色に染まるレンゲ畑もきれいですね。



さて、この平成30年春、自分の尺八演奏活動に関しまして、大きな転換期となりました。

そこでブログ名も、これまでの「尺八稽古帳」から、「尺八音楽考」へと変更しようと思います。


「お稽古」「お勉強」としてではなく、「尺八音楽とは、一体何なのか」「その音楽的価値とは」…など、これまで議論・提唱されてきた認識からさらに一歩踏み込んで、山口の感じた、自分自身の感性や言葉で発信して行きたいと思います。

ここ数年、そうした話題はFacebookでまずは公開という流れだったのですが、しばらくFBは休憩し、少しゆったりしたマイペースでブログの方で更新して行きたいと思いますので、もしよろしければどうぞお付き合いの方、よろしくお願いいたします。

2018年4月11日水曜日

本名

私事ですが、この度私は、竹盟社師範及び竹号「籟盟」を返納させて頂き、今後は本名「山口 翔」として活動させて頂くことをご報告致します。

一個人という立場で、尺八本曲や三曲合奏を純粋に「音楽」として楽しんでいけるよう、オープンなスタイルで活動して行きたいと思います。

今後とも一層精進して参りますので、何卒よろしくお願い申し上げます。



琴古流尺八奏者 山口

2018年3月29日木曜日

【web演奏会】10分で琴古流本曲「寿調」

49回山口籟盟web演奏会【10分で琴古流本曲(36)「寿調」】
ふだんなかなか耳にする機会のない琴古流尺八本曲を、聴きやすい「10分程度」の演奏でお届けするシリーズです。

『三浦琴童譜』(正式には『三浦琴童先生著拍子、記号附 琴古流尺八本曲楽譜』)の1曲目を飾るのは「一二三鉢返寿調」です。これは、「一二三調」「鉢返」「寿調」の3曲が合わさった曲になります(正しくは、それに「竹翁先生入レコノ手」が加わる)。「一二三調」と「鉢返」は、曲の最後の旋律が共通しているので、「一二三調」の途中まで演奏した後に先に「鉢返」を吹き、最後に2曲の重複した終末部分を演奏するということのようです。これが所謂「一二三鉢返調」で、その「鉢返」の終わりの重複部分になる寸前に「寿調」を挿入したのが「一二三鉢返寿調」ということになるわけです。

文章で書くと、何が何だか判りにくくなってしまうのですが、要するに現行では「一二三鉢返調」という10分程度の2曲合体演奏が一般的になっているわけですが、『三浦琴童譜』においてはプラス「寿調」で、3曲合体の「一二三鉢返寿調」という譜面になっているわけです。しかし、実際には「一二三鉢返調」として演奏することが殆ど(というよりもほぼ全て)なので、「寿調」だけ取り出して「1曲」扱いすることが多いようです。

三浦琴童譜の注釈には「以下寿調又長調トモ云フ」とありますが、この「長調」という曲名は、『琴古手帳』の「当流尺八一道之事 十八条口伝」や「細川月翁文書」の『尺八曲目ケ条之書』に「一、長しらべをふく事」と出てきます。月翁文書の『尺八曲目ケ条之書』においては、付け紙に「初代琴古工夫して吹出す也 息気竹に和し候上ならでは何(いずれの)曲も吹かたし 何曲を吹とても前に是を吹て息気竹に和し其上にて曲を吹 為に設曲によりて吹仕廻の跡に入る音に伝あり」とあり、初代琴古が曲を演奏する前のウォーミングアップとして吹くように設定していたことが推測されます。この初代琴古の「長しらべ」と全く同一の曲なのかはわかりませんが、性質として「前吹」としての役割を持つ「調べ」であるならば、「一二三鉢返調」と統合されて伝わったとしても納得のいく由来の曲です。

私事ですが、お恥ずかしい話ながら、私自身関西での修行時代末期にお習いして以来、この「10分で」シリーズのために練習を開始するまでは一度たりとも吹いたことがありませんでした。しかし今回、練習の機会を得て吹いてみたところ意外(!?)だったのが、優雅な独特の旋律を持ち合わせた曲であり、一部雅楽を思わせる展開などもあったりして、なかなか侮れない、いい曲であったということです。「寿」という曲名も、こうした曲調によるものなのかもしれません。また、ここ数ヶ月「裏の曲」ばかりを吹いてきたため、久しぶりに「表の曲!」という雰囲気を味わいました。表の曲は「古伝三曲」「行草の手(竹盟社では「学行の手」)」「真の手」など、「いかにも琴古流本曲!!」な感じの形の整った楽曲が多いのに対し、裏の曲は「琴古流本曲の中でも特殊・突飛な曲」の割合が高く、特に最後の数曲は作曲時期が新しいこともあって、自分の中の演奏イメージがだいぶ表の曲から外れた状態にきていました。そこにこの「寿調」で、「おおっっっ!琴古流本曲本来の姿に戻ってきたぞ!」というような感動を味わったわけです。

現在では「琴古流本曲36曲」のトリを引き受けるこの「寿調」。地味なようでいて、実は旋律も美しく、さらに初代琴古以来の脈々と続く伝承を受け継いでいるこの楽曲を、「10分で」シリーズの最後に演奏公開させて頂けたことは、自分にとって新鮮な思い出として残りました。これからも、何か祝儀事での演奏機会があれば、ぜひこの「寿調」に活躍してもらおうかなと思っているこの頃です。なお、この曲も抜粋せず、「一二三鉢返寿調」のうちの「寿調」の部分だけを演奏して10分ちょっとに収まる楽曲です。



「山口籟盟web演奏会」は、ふだんなかなか耳にする機会のない尺八音楽を、インターネット上で公開する取り組みです。

【web演奏会】10分で琴古流本曲「月の曲」

48回山口籟盟web演奏会【10分で琴古流本曲(35)「月の曲」】
ふだんなかなか耳にする機会のない琴古流尺八本曲を、聴きやすい「10分程度」の演奏でお届けするシリーズです。

近代以降の琴古流の礎を築いた、2世荒木古童(竹翁)が作曲しました。以前から解説している通り、曙調子・雲井調子の移調が現行しない代わりに、琴古流本曲36曲にカウントされるようになった曲です。

この曲については、雑誌『三曲』の大正14年2月号に、三浦琴童が「荒木竹翁先生」という記事で言及していますので、ここに引用させていただきます。

「先生の作曲では現在も琴古流本曲として用ひてゐますが月の曲、之には呂のロから甲のハ迄昇る手がありますが、之は自然に昇せるので、之も月の昇つて行く形容を取入れたものでそこが此曲の骨子となるのです。
月に次いでは雪の曲、花の曲、も作曲の予定であつたとかで、花の曲に就ては先生の案になつてゐた手も聞かされた事があります。
雪は今戸へ引越してから裏の隅田川を見乍ら雪の情景を味つて会心の曲を仕揚げるのだと云つておられました。一局部の作はあつたのですが、終に完成を見なかつた事は誠に惜しい事です。
それでもかうして「月の曲」が残つておると云ふ事はせめてもの吾々の幸福だと思つております」

ちなみに『三浦琴童譜』の「月の曲」の注釈には、「此曲ハ荒木竹翁先生推敲中に歿せられしが、愛慕の意を表するため謹写せし者なり」とあります。

演奏してみますと、琴童師が解説されている「呂のロから甲のハまで昇る手」が実に印象的で、八寸管で壱越になる筒音が、第1オクターブから第3オクターブまで連続して吹き上がっていくような演出になっています。この手には譜面に注釈があり、「一と息ニテ呂ノロヨリ甲二ナシ五ノハノ呂ニナシ又甲ニナシ終リニ四ノハヲ一寸聞カセル」とあります。乙のロから甲に吹き上げ(第1オクターブから第2オクターブ)、そこから裏孔をあけて乙の五のハとし(甲のロと同音)、さらにそこから甲に上げる(第3オクターブ)というわけですね。しまいの部分は2、3孔をスって終わります。琴古流の「四のハ」は、1、4孔を閉じるようになっているので、注釈のような書き方になるのでしょう。

このスリの記述は、鹿の遠音の「竹翁先生替手(実際には現行の演奏は全てこの「替手」で演奏します)にもあります。「四のハ」は、「三のハ」と同じく近代に入ってから、外曲の必要性によって生み出された運指なわけですが、「月の曲」も、「鹿の遠音・竹翁先生替手」も、荒木竹翁が手付けしたわけですから、旋律自体が「近代の琴古流」へと移っていっているといえるでしょう。「月の曲」の終末には「ヒの中メリ」「レの中メリ」も出現し、あたかも外曲の後歌のような趣を感じます。

曲全体として、「琴古流本曲の代表的な手のオンパレード」というか、「ベストヒット集」とでもいう感じで印象的な手が連続して構成されており、非常に聴きやすいまとまりのよい楽曲となっています。ここでは抜粋せず全曲通していますが、15分以内に収まっています。曲の終わりは、殆どの琴古流本曲と同様「レロ」となっていますが、楽譜ではその横に細字で「或ハ、ハゝハレ」とあり、ひょっとしたら竹翁師が「最後まで迷っていた」のかもしれません。個人的には後者の方が自然な流れに感じますが、お習いしたのは「レロ」の方ですので、こちらで演奏しております。





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2018年3月25日日曜日

【web演奏会】10分で琴古流本曲「砧巣籠」

47回山口籟盟web演奏会【10分で琴古流本曲(34)「砧巣籠」】
ふだんなかなか耳にする機会のない琴古流尺八本曲を、聴きやすい「10分程度」の演奏でお届けするシリーズです。

初代琴古・本名黒澤幸八は、若干19歳にして、長崎・正壽軒(当時は玖崎寺)にて虚無僧・一計より「古伝三曲」「鹿の遠音」「波間鈴慕」など7曲を伝承、さらに全国各地の尺八本曲を蒐集して「琴古流本曲」の基礎を整えたのみならず製管にもたくみで、一躍尺八の名手として一斉を風靡した人物でした。その子である幸右衛門も名人の誉れ高く、父の没後幸八の名と琴古の号を襲名、2代黒沢琴古として活躍しました。さらにその子である雅十郎も幸八の名と琴古の号を襲名、3代黒沢琴古として世に知られています。

3代琴古の大きな業績としては、これまでの本曲の紹介文で度々引用してきた「琴古手帳」という忘備録を残したこと(実際には父の2代琴古が書き綴ったものに3代琴古が書き足したようである)、久松風陽を始めとする優れた門人を輩出したこと、そして今回の演奏曲「砧巣籠」を作曲したことが挙げられると思います。

「砧巣籠」は、「碪巣籠」とも表記され、尺八本曲として有名な「鶴の巣籠(琴古流ではのちに「巣鶴鈴慕」)と同じく十二段構成となっています。曲名から察せられる通り「鶴の巣籠」を強く意識して(というよりもベースにして)、なおかつ「砧」の要素を取り入れたということになるかと思います。三曲の世界において「砧」といえば、「砧もの」「砧地」などの用語が思い当たりますが、これらは「チンリンチンリン」「ツルテンツルテン」といった定型的なリズムの繰り返しが特徴的な器楽的楽曲といえます。つまり「砧巣籠」は、尺八本曲の要素に外曲の要素を加味して成立した楽曲といえるのではないでしょうか。実際、琴古流本曲の中では例外的に、「レ」の連続音を外曲と同じ「4押し」(殆どの曲は「1打ち」)にて行うように指定されています。曲全体を通して似たリズムの繰り返しや、同音の連続音が多用されています。

さらに、この曲によく現れる印象深いリズムが、いわゆる「三・三・七拍子」の音型です。「三・三・七拍子」といえば「応援団」の代表的なリズムパターンですが、これが江戸時代から脈々と日本人に受け継がれてきた伝統的な音型ということが、ここでも立証できるのではないでしょうか。そういえば、本曲でもよく用いられる「打ち詰め」(同じ音を、最初は間隔をあけて、だんだん早くしていく技法)のリズムも、応援団の演出としてよく用いられますね。

この「砧巣籠」は、「琴古流本曲36曲」が成立した頃から「裏の曲のラスト」を飾る1曲であったようで(近代以前はその後に「秘曲・呼返鹿遠音」が構えていた)、文献に残るエピソードにも「最後に習った」とか「この曲だけ残った」などの話が見られる所からも「琴古流本曲の中でも特別な存在」として、歴代大切に取り扱われてきたことが感じられます。師匠・吉村蒿盟師と初めてお会いした際「琴古流本曲の中で一番難しい曲は砧巣籠や」と語っておられたのが心に残っています。「知名度」では「巣鶴鈴慕」の方が上ですが、琴古流のみに伝わるこの特別な一曲を、これからも大切に吹き続けていきたいと決心しております。技術的な難易度も高く、スケールの大きいこの曲を充分に表現するのは大変難しいことですが、「現時点での自分の演奏」として、この場に記録させていただき、今後も精進を重ねたいと思います。





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2018年3月22日木曜日

【web演奏会】10分で琴古流本曲「厂音柱の曲」

46回山口籟盟web演奏会【10分で琴古流本曲(34)「厂音柱の曲」】
ふだんなかなか耳にする機会のない琴古流尺八本曲を、聴きやすい「10分程度」の演奏でお届けするシリーズです。

今回は、「芦の調」「厂音柱の曲」の二曲同時公開です。

「芦の調」「厂音柱の曲」は、ともに3世琴古作曲の「砧巣籠」の前吹として扱われたものであり、元々の「琴古流本曲36曲」には数えられていなかったものでありますが、曙調子・雲井調子の移調曲8曲が実際には演奏されなくなったことから、現在は独立した1曲に数えられております。「琴古手帳」の冒頭にある「当流尺八曲目録」に、「碪巣籠、前吹蘆調、同柱曲」とありますが、3世琴古以前に記録されたと思われる「当流尺八曲目」には「砧巣籠」が含まれておらず、当時は琴古流本曲は「表18曲、裏17曲の計35曲」だったことが分かります。「36曲」が成立したのは3世琴古の代になってからということになり、前吹である「芦の調」「厂音柱の曲」も、琴古流本曲成立当初にはなかった、比較的新しい曲と言えるでしょう。

なお、値賀笋童師著『伝統古典尺八覚え書』によると、「厂音柱の曲」は3代目琴古の門人であり、「琴古流中興の祖」とも呼ばれる久松風陽の作曲ということです。他の楽曲にはあまり見られない、雅楽のような手が出てくるなど、全体に流麗な雰囲気を感じます。なお、「厂音柱(ことぢ)」とは、箏の調弦の際に移動させる「琴柱」のことであり、昔から雁がねの群れに見立てる美意識があったようです。琴柱のフォルムそのものも、雁が羽を広げ長い首を前に出して飛ぶ姿を彷彿とさせますし、箏の調弦では、一の糸の柱の場所が高い位置にあり、二から下がって三、四と上がっていく形も、群れの並びと似ていますよね。山田流箏曲「岡康砧」にも、「月の前の砧は、夜寒を告ぐる雲井の雁は琴柱にうつして面白や」とあります。当て字もとても面白いですね。「雁音柱」と、最初の文字をがんだれに省略しない書き方もあります。



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